2024年12月9日
by 小野田
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勝負の年2025年

 あっという間の2024年。確実にあと20日で、2025年です。もうこの歳になると、ふと寝静まった夜中の3時ごろ目が覚め、どこまで現役で続けようかと考えることが良くあります。実質一日フルの仕事ではなく、ハーフの仕事での労働許可で保険を払っています。それと毎月400ユーロ(日本円で言うと6万円ぐらい)の年金が自動的に振り込まれているので、昼飯代位はカバーできています。それとお袋が、20年間国民年金を払っていてくれたので、2か月に一回、月4万円、2か月分払い込まれますので8万円、この程度のお小遣いが、毎月自由になります。
 こちらに来た当初は、退職する事、すなわち、第一線から退くことなど、これっぽっちも考えていなかったので,スペイン41年目などという実感は、正直ありません。一時期、断捨離という言葉が、巷をにぎわしたことが、思い浮かびますが、もういい加減に断捨離をしておかないと急に、中山美穂さんじゃないけど逝っちゃうと、あとに残るものが、大変な思いをすることが解りきっているので、たまりに溜まった、仕事の資料、セミナーの写真等をどう処分するか今真剣に検討中です。
嫁さんとは、先にぼけた方が勝ちと冗談で言ってるけど、指圧のセミナーの最中、昼めし食って、後半のセミナーで、言葉が詰まって、実際に出なくなることが、目立ってきたので、やばいの一言です。助手あたりが、茂やばいと冷や汗をかいているのかもしれません。学生の頃、親父も55歳で定年あの頃は、人ごとのよう、傍観していましたが、自分が、65歳で定年退職なんて思いもしませんでした。大腰筋を鍛えて、肩関節を伸展して、まだまだと力んでいますが、真向法で、あれだけ伸展させた股関節が,フレーズンの一言です。パンツを変えるのに、足がパンツのゴムの所に引っかかって。思わず転倒骨折なんてのはヤダよと慎重そのものです。
 スペインに長く住んでいますが、旅行者が訪問する所にはいません。マドリッドの北の新興住宅街に根を張っています。20年前ぐらいは、サラリーマン、サラリーウーマンがさっそうと闊歩していた場所だったんですが、この頃は、車いすで散歩する、お爺さん、おばあさんが目立ちます。もちろん三本足(杖)のよたよた歩きの昔元気の人達も目立ちます。スペインも日本と同じように長寿国ですが、少子化は、世界共通で、お爺さんおばあさんが目立つようになりました。乳母車も結構見かけますので、その辺の問題は、クリアーなのかもしれません。ただ金持ちと貧乏人の差は、以前より顕著にみられるようになったのも事実です。チャイニーズは、どこに行っても、根を張っていて、嫌いなんだけど、金持っているので、我慢して接待、これも世界共通です。
 赤ちゃんもちの夫婦の優遇策は、今の首相が、左寄りの影響もあって、いい待遇のようです。日本が外人に甘いとのご批判もありますが、スペインは、南米からの出稼ぎが多い関係もあってか、南米人は、これまた左寄りの弁護士の御指南でかなり甘い
汁を吸っています。この辺は、政府が推進してるのだから、スペイン人、外人を問わず、ごオッあんは、これまた世界共通です。
 妊婦さんの優遇は、当たり前、旦那も3か月休めるとあったら、そりゃー、子供造りも、世のため人の為です。
 ただ直接スペイン人と商売しているので不景気が、もろに肌で感じます。衣食足りて礼節を知るの如く、飯が食えて、すなわち衣食が足りて次が、わが身の健康です。予防医学の一端である指圧、受ければ長生き間違いないのですが、効果を感じるのが、すぐではありません。こんなこともあり患者さんの減少は、不景気に正比例して顕著に表れています。
 実際コロナ以降、ばたばたつぶれた指圧界です。いまだに学院を順調に動かしているのは、正直私の学院だけです。うれしいやら悲しいやら。大将は、つぶれることができないのです。
 2025年この年は、要の年です。さあーイクゾー。やるきゃないの年、2025年 サー吉と出るか、凶と出るか― 勝負の年です。
 

2024年11月11日
by 小野田
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オランダとイタリアの指圧講習会

オランダ(ハーグ)セミナー 1.

2024年10月12日、13日 オランダのハーグ、10月19日20日イタリアのシシリア島パレルモと2週間続けて、指圧講習会に招待されて行ってきました。

オランダは、2008年と2017年に日本指圧専門学校の先生方を招いて大規模な指圧セミナーが開催されました。

浪越指圧の普及のためにヨーロッパのメンバー一同が一丸となってヨーロッパ各国で、指圧セミナーを展開中に、世界をどん底に落とした不幸な出来事が、武漢ウイルスの世界中の蔓延でした。

武漢ウイルスのパンデミック後、ヨーロッパの指圧市場は、極端な冷え込みを見せながら、どうにかしのいできた事実があります。

指圧治療にしろ、指圧の普及にしろ、各国の厚生省は、人と人の距離を置く政策を掲げて、指圧界にブレーキを掛けました。

このマイナスの要素が、起因して、いくつもの指圧學校、指圧治療所が廃業を余儀なくされました。

こんな中、2022年、2023年に入り、どうにか立ち直りを見せ始めました。

2024年に入りどうにか各国の指圧仲間(ヨーロッパ指圧浪越)の活発な動きの情報が入るようになりました。

そんな折、オランダのハーグ(アムステルダムから60㎞離れた経済、商業の中心地)で、長年SHIATSU SCHOOLを営むヴェロニカ先生が音頭を取り、指圧講習会が開催されました。

大腰筋の指圧治療(抗重力筋)がメーンテーマです。この大腰筋に的を絞り2日間の講習がスタートしました。

会場になる大きな道場には、驚かされました。合気道、指圧をメーンにお年寄りのための気功、ヨガといった健康をテーマにした施設として自治体から借り受けているのだそうです。

オランダの健康に関する自治体の取り組み、すなわち第3の医学である予防医学の理解度は大変高いとのことです。

鍼灸及び指圧を含める手技療法は、国の健康保険はまだ認めてられていませんが、プライベートの健康保険の適用は、正式に認められています。一般的な治療費は、80ユーロ(約12000円)前後が一般のようです。高い治療費に見えますが、物価もそれ相応に高いので、北欧としては、普通と言えます。

 

宮下よしのり先生(23期)

この道場に週一回指圧を教えに来ている先生は、宮下よしのり先生です。先生は、日本指圧専門学校の23期の卒業生です。オランダの居住期間は、43年になるそうです。

その間、指圧治療の傍ら指圧を教えて今では何百人という門下生が、オランダ内外で、指圧関係で、生計を営んでいるとのことです。

優しい口調での教えは、紳士淑女の国であるオランダには、誠にマッチした、指圧指導とのこと、誠に地に着いた指導で、評判が高い先生です。

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このセミナーを開催したベロニカ先生は、指圧歴25年のベテランの先生で、スペインで、私のスクールにて10年ほど在籍後、地元のオランダに帰国してやはり治療と指圧の先生として生計を立てています。浪越指圧の基本の施術では、モデルになるほど完璧な姿勢で、生徒を魅了させています。

 

宮本やす先生(28期)

オランダ在住で、やはり指圧で生計を立てている日本指圧専門学校の28期の卒業生が宮本やす先生です。本拠地は、アムステルダムです。

日本専門学校卒業後、ハワイに渡り、ワイキキの指圧治療院で長年働き、そしてニューヨーク、修行を積んでオランダにわたり、アムステルダムのホテル大倉の指圧治療院で、責任者として長年働きました。その後、独立してプライベートの指圧治療院を経営しています。指圧指導も別団体(禅指圧系、経絡指圧系)の依頼などにちょくちょく呼び出されては、独自のテクニックを伝授しています。

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今回のテーマは、姿勢筋である抗重力筋のメーン筋である、大腰筋をテーマにして2日間の講習を計画しました。

来年は、第2弾として前頚部の胸鎖乳突筋にテーマを絞りレクチャーしたいと思っています。

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イタリア(パレルモ)セミナー 2

2024年10月19日、10月20日の両日、イタリア・パレルモ国立大学体育学部professor ROMINA先生の招待で、イタリアシシリア島の首都であるパレルモに指圧講習に行ってきました。

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ROMIRO先生

主催のボスであるROMINA先生は、元水球のイタリア選抜選手でした。数々の国際大会に参加し、選抜から退いたのちに地元のパレルモ大学の体育大学の先生として働くようになりました。

大学で働きだした当初、ローマのパロンビーニ先生の元、指圧を習い始めました。何やかやで、月日がたち何回かの指圧のローマ大会があり、私もイタリアに講師として招待されるたびに、ROMIRO先生の姿を何回も拝見いたしました。

シシリア島の鎧をまとったお人形をもらい今でも治療所に飾ってあります。あれから何年たったのでしょうか。

ROMIRO先生は、大学で教鞭をとりながら自宅に治療所を持ち、そして大学では、スポーツ選手の指圧のケアー、そして興味のある体育学部の生徒に指圧を教えるようになりました。

 

ANTONIO BIANCO先生

体育学部の責任者(部長)であるANTONIO BIANNCO (アントニオ ビアンコ)先生も元サッカー選手で、指圧とスポーツのテーマに大変興味があり、ROMIRO 先生の第一の理解者だそうです。

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指圧とスポーツの博士論文

昨年 7人の生徒が、RAMIRO先生の1年間の指導下のもとに指圧とスポーツという博士論文を製作して無事提出したようです。

国立大学の博士論文に指圧を題材にした論文が、提出されたことは、指圧界の快挙と言えます。

 

体育学部の学生に指圧の講義

今回は学部部長のご好意により、正式に土曜日、日曜日のホテルにての指圧講習を無事に終わらせた翌日の月曜日に10時から12時の2時間の時間を頂き、体育学部の生徒約120人が集まる講堂にて、指圧とはなんぞやの講義をやらせていただきました。

 

NHK ラジオ体操第一

始めに100人の生徒を目覚めさせるためにNHK ラジオ体操第一をヴィデオで流しました。皆様も一緒にと言い、準備体操が始まりました。大いに受けました。拍手喝采です。

次に浪越徳治郎先生の4つの手技療法の説明と、指圧の心のデモを披露して、これまた徳治郎先生のカリスマのお陰で、またまた拍手です。

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ここから2時間休みなしの指圧とはの講義が、始まりました。

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国による教え方の違い

40年のヨーロッパスペインの生活において、約100回ほど、セミナー、及び会議のためにイタリアに言っています。

国によって、国民の気質が違いますので、それを前もって勉強しておかないと、まったくもってお粗末なセミナーになります。オランダとイタリアのセミナーの進行方法は、まったくもって違います。

ヨーロッパ人は、つまらないとさっさと退出します。しかし受ければ、拍手喝采です。この辺の試練、経験は、当たり前のことです。

 

指圧の未来展望

2時間の講義が終わり、ROMIRO先生に聞くと生徒は、より指圧に興味を持っただろうと喜んでいました。

ROMIRO先生のような先生が、指圧を体育学部の生徒に普及してくれれば、確実に底辺が、広がります。ローマやミラノの体育学部に広がればと、まんざら夢でもない指圧普及をこの地で経験しました。

 

塾SHITASUPARACTOR

塾長 小野田茂

2024年11月7日
by 小野田
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頑張れ Valencia.

バレンシアという中都市が、地中海のバルセロナとアリカンテという海沿いの都市のちょうど真ん中あたりにあるんだけれども、その街の田舎を集中豪雨が一週間前、襲いました。元々村々の海抜が極端に低いので、1980年代に集中豪雨が襲い、村々を破壊したんだそうです。
 行政すなわち、バレンシアの自治体と国の政府が、責任をなすり合って、お前が悪い、いやいや国がお金を出して、解決しろと議論した時代があったそうです。熱いものは、のど元を通過するとなんて言われるように、うやむやのままで時が、経過したようです。地中海に面した都市は、もともと温暖で、雨も適当に降る程度で、緩い気候でめったに集中豪雨なんて起きません。
 そんなこともあり、マドリッドにしても、どこにしても灌漑(下水道)施設がまったく整っていません。そんな折、昨今の気候の変動もあり、今まで傘なしの気候が、傘を持ち歩く習慣がスペイン人にも誕生したのでした。雨が降るとスーパーのビニール袋をかぶって闊歩するとか、雨に濡れてもへっちゃらという時代もあったのですが、今では、傘が、時には長靴が、必要なスペインになったのも事実です。
 そんなこともあり、久しぶりの豪雨で、大型店舗の地下の駐車場や海抜の低い道路に豪雨が、いたずらをして、スペインでは、めったに起こらない災害が生じたのでした。人災か天災かと議論を呼んだのでした。
 200人以上が,死亡、まだまだ行方不明者が続出という事で、国民性の違いか、日本人と違い、感情をあらわに出すので、がーがー騒ぎだしていたのは、確かで、報道機関も煽り立てていました。
そんな折、お見舞いに、首相のペドロサンチェス一行、王様のフェリッペ、王女様のレティシア、一行様が現地に赴きました。一週間が経過しても、能登、輪島同様にまったく進展がないのも事実でした。そんな一発触発の時に、偉い様が、到着したのでした。そんな折に、過激派のシンパが先導したのか、帰れ帰れのコールが、まいとび、しまいには、一行に、泥を投げつけたのでした。報道機関が一斉にカメラを回しているときに、警察が、無茶したらこれも問題で、一行様は、やられっぱなしで、退散の結末で終わったのでした。後で、警察が、バンバンやったのかもしれませんが、このようなニュースが流れたのでした。
マー国民性の違いで、日本人なら、ヒステリックにしゃべれば、教養の程度が、疑われますが、ここは、感情むき出しで、マーすごいことすごいこと、王様に対して泥を投げて、ストレス解消、スペインも変わりました。権利と義務。権利ばっかし要求の左が増えました。フランコの時代だったらと考えると、スペインも住みずらくなったものです。しかし奉仕の若者が続々と被災地に押し寄せるニュースには、まだスペインも捨てたもんじゃないと超感動しました。
 それにしても、トランプが大統領に確定したと思ったら、早々に首相のペドロサンチェスさん、アメリカに飛び、トランプに早々あいさつしたとのこと。この首相は中国大好きで、つい先日マドリッドにチャイナタウンが、正式にオープンしました。確かに百貨店に行くとブランドあさりにふける田舎者中国人だらけです。
 最近は、少々陰りが見えましたが、それでもルイビトンが好きな中国人が闊歩しているのは、事実です。店員は、スペイン生まれの中国人とくれば完璧です。
 所で、どうでもいいんだけれども、トランプさんウクライナとソ連の戦争だけは早急にやめさせてください。若者が、何の罪もなく死んでゆくのは、忍びないです。どこの国が、この戦争でうるおっているのは、皆さんおわかりですが、未来ある若者だけは守らなければなりません。スペインも、物価高は、目に見えるようになりました。何しろ住みずらい世の中になったのは事実ですが、それでもまだまだスペインのほうが、住むには、いいかなーと思うほど、日本は、メロメロですね。

2024年10月26日
by 小野田
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オランダセミナー講習レポート(その2)

こちらの育む道場で、週一回指圧を指導している先生がいます。お名前は、宮下よしのり先生です。日本指圧専門学校の23期卒業だそうです。

先生は、在オランダ43年になります。アムステルダムからちょっと離れた郊外に住居と指圧治療院を構えて、悠々自適に生活しているようです。指圧を地味ながら継続は力を信条に自然体で普及し続けたオランダ指圧の開拓者の一人です。奥様がオランダ人と言う関係もあり、日本人社会よりは、現地の人との交友が主で、日本人は、ほとんど知らないと言っていました。

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永住に近い日本人は、このタイプが多く、一人でもどこにいても生きていける人で、日本人の特徴であるすぐに群れる輩は、やはり居酒屋で一杯が、良い人は無理みたいです。昔の移住者は、海外雄飛を夢見ての若者が多かったのですが、今では、2,3年で、ある日突然、帰りますの若者がほとんどです。

うちの治療所の先生は、海外青年協力隊に入隊して、アフリカで何年も柔道を教えていた先生なので、根性が違います。もちろん安心して治療所を任せられます。今の若い日本のお兄さんは、スマホいじりが、お得意で、ダメですね。結構、働きたい派のあこがれ族から連絡が来るのですが、スタッフは、うちの学校で育った生徒で、これはというのを見つけて、育てています。

この宮下先生は、うつ病患者を得意中の得意としています。オランダを含め北の寒い国は、結構うつ病患者がいます。指圧は、こんな患者を得意としていますが、この先生は、何しろ優しいの一言です。指圧の技で、体をグニャグニャにして鬱患者に利くポイントを的確に持続圧、特に按腹を中心に治療をします。精神的疾患が多い北ヨーロッパに、こんな先生が、いてよかったよかったです。8年ぶりの再会でした。

もう一人は、宮本やす先生です。この先生もニューヨークを皮切りにハワイでしばらく地元の指圧治療所で働き最終的にオランダのアムステルダムに衣を構え、ホテルOOKURA の指圧治療所で長年働き、今は自分の治療所をもって働いています。労働許可証付き在留証明書を所持するのは、当然の義務ですが、オランダ語を習得する義務があるみたく、その件で、苦労したと言っていました。浪越学園28期の卒業生です。安さんは、テクニックを沢山持っていてマジシャンヤスと異名をとるほど、痛みを一瞬で取ることに秀でています。たびたび宮本先生同様に他の流派からのセミナー依頼が絶えないようです。35年在オランダの猛者です。

安さんと小野田

セミナーの最終日に宮本先生、鍼師の田村先生、そして私と家内が、ぶらぶらと繁華街に出かけてショッピングを楽しみましたが、色々話を聞くとアムスステルダムも観光客の増大に頭を痛めていて、人数規制が近年中に導入されるとのことでした。また移民問題で頭を痛めている反面、日本人は、400年前の法律が、生きていて簡単とは言いませんが、超有利に移民の許可が日本人には下りているようです。

最後は夕食という事で、オランダ料理ではなく飾り窓の裏側の道路にある中華料理で、たらふく料理を頂きました。オランダと聞くと何故かインドネシア、ベトナム、中華料理を思い出すのはなぜでしょうか。

オランダの建物と運河が、妙にマッチして、そこにニシンのサンドイッチがあれば、言うことなしの短い旅でした。

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2024年10月22日

塾 shiatsupractor 塾長 小野田茂

2024年10月24日
by 小野田
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オランダ指圧講習会レポート その1

2024年10月10日から10月14日の5日間オランダの中心地アムステルダムから60km離れた経済、政治の中心地であるLA HAYA(英語THE HAGUE)で土曜日、日曜日、オランダ指圧学校の道場にて指圧セミナーを行いました。

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オランダにおいては、2008年2017年と2回程日本指圧専門学校の理事長、浪越雄二先生、小林秋朝先生、その他、指圧指導の先生方を招聘してセミナーを行いましたが、武漢ウイルスの嵐の吹き荒れる世界的なパニックで数々のイベントが、ばたばた中止、延期になり指圧界の灯も消えかかりました。

このような混とんとした世界状況が、数年続きましたが、どうにか回復の兆しが見え隠れしだした手技療法界の現実があります。

こんな鬱状況を払しょくするために、1年間の準備期間を経て、オランダセミナーを開催しました。

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中心となってくれたのが長年、浪越指圧の普及のためにオランダを動き回っているヴェロニカ先生です。先生方の団体が音頭を取り、計画、準備そして開催に至りました。

オランダの指圧の歴史は、大変古く、1960年にさかのぼります。オランダ人のビンクス先生が、指圧を習う目的で、日本に来日して浪越学園の門をたたき、浪越指圧の基礎を伝授されたとのことです。

たまたま1964年の東京オリンピックの大成功の基、日本は、国際化に舵を取りました。そんな折に徳治郎先生の長男である徹先生が、長年のアメリカ暮らしで英語にての伝達が完璧であるためにスムーズに伝授できたことのラッキーさも、大いにあったようです。

また同時期にイタリアのパロンビーニ先生(理学療法士)も東京オリンピックの乗馬競技の選手のためのケアーのためにチームトレーナーとして来日していた折に、やはり浪越学園を訪問して浪越指圧を伝授してもらいました。その時期が第一期海外指圧普及の架け橋となっています。

直接、浪越徳治郎先生、及び徹先生に指圧を教わったのが、オランダのビンクス先生、イタリアのパロンビーニ先生です。

その2人の先生が、中心となりヨーロッパの指圧普及が始まりました。

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それ以前に増永静人先生の禅指圧が、大橋渉先生の協力のもとヨーロッパではすでにブームになっています。

志半ばで、浪越徹先生が、若くしてお亡くなりになったその年に両先生もそれぞれお亡くなりになっています。奇遇では、ありますがまぎれもない真実です。今回は、ヴェロニカ先生が音頭を取り、セミナーが開催されましたが、この育くむ道場は、合気道の道場としても活用されています。

なぜか私の指圧学院にも合気道の生徒が、沢山いて、合気道と指圧は相性がいいみたいです。

指圧もオランダでは大分理解度が浸透しています。手技療法の協会がいくつもあり、その協会に各手技療法家は、所属を義務付かれています。そして1年に2回の指定されたセミナーに参加することを義務付かれています。質の維持を貴ぶ各協会の仕事は、プライベートの健康保険が有効になるか、許可をえれないかの道に進むわけです。ヨーロッパの経済機構の大御所であるヨーロッパ共同体(EC)は、健康セクションのお金の消失が、いつも課題になっていますが、その問題を解決させる動きとして第3の医学、予防医学の推進を真剣に行い始めました。

動きとしては、鍼灸は、西洋医学を学んだ医者のみが、できる法律を少しずつ入れ始めています。手技療法は、規制する範囲が、大きいので、健康維持促進の立場の法律を各国は入れ始めています。この動きは、既にイタリア、フランス、オランダなどに見られていて、今まで鍼灸を糧としていた中国人は、よその国に移住し始めています。

オランダの針の協会は、主に中国鍼の使用すなわち中国の鍼理論を尊ぶ団体が主ですが、中国政府のバックアップは、今まで並大抵のものではありませんでした。こんな昔の動きがあり、中国人が中国で鍼を習い、中国で医者の免許を取得した中国人は、今まで通りだそうです。

日本人で、日本の鍼灸の免許を取得した免許持ちは、ダメのようです。

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日本大使館は、日本大企業ばかりの応援で、日本文化や伝統などには、まったく興味がありません。大使館イコール日本の大手企業の理解者であり、漫画や日本の文化継承には、全然理解がありません。歌舞伎や相撲を何年かに一回、持ってきては、大仕事をしたと喜んでいます。なんで歌舞伎、なんで相撲なのかは、よくわかりません。

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地元に根付き、一生をかけて日本の文化を伝えている、日本人が、ヨーロッパには、結構いるんだけれども、マーその人たちは、その人たちの哲学でやっているし、人様が何を仕様が、関係のない人たちだからそれはそれでよしとしましょう。2,3年で帰国の日本人は、所詮腰掛が結論のようです。

2024年10月2日
by 小野田
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新刊のご紹介

スペインのマドリッド指圧クリニックが1984年の10月にスタートとしてあっという間に40年が過ぎました。スペインが、竜宮城とは言いませんが、浦島太郎の如く、光陰矢の如しであったことは確かなようです。

浪越徳治郎先生であれば、祝賀会が定番ですが、この手のお祭りはどうも苦手で、もっぱら家ですてねが、小生にはあってるようです。

それでは何か記念にと、今年の1月から阿是指圧における患者様の体の観察の本を執筆し始めました。少しずつ進めて、イラストレーター兼、本のコーディネーターである篠原さん、学院のスタッフの協力のもと1冊の身体の観察(視診、触診、動診)の本をアマゾンスペインからスペイン語で出版しました。

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この本の最初の書き出しの部分を日本語に翻訳しましたのでここに紹介いたします。

序章

指圧の特徴を述べろと尋ねると、大概の指圧師は、診断即治療と答えます。

親指の指腹で硬結を見つけて圧することを診断即治療とほとんどの指圧師が解釈しています。しかし診断をするという事は、左右の身体の同ポイントを同時に触診して左右の硬結の大小、傷み具合、また左右の動きを動診して左右差を診るという事であり、いきなり硬結部を圧したら、

1 痛みが逃げる。

2 痛みが奥に隠れる。

3 痛みが、増すといった。

諸反応が現れて診断不可能になってしまいます。下手をすると症状が悪化する恐れも考えられます。

この辺が、指圧師の弱い所で、ただ押せばいいというマッサージ屋が、はびこる原因と共に医者や物理療法師のエビデンスを基本として、勉強してきた治療師としての指圧師の信用を欠く要因になっていたと思います。

診断の一つである触診,動診を、左右行い、どちらが虚で、どちらが実かを確認して、虚側を先、実側を後に治療することを優先することは常識と考えています。

また炎症が患部にあれば、

1 叩打法  golpeteo

2 揉捏法  amasamíento

3 伸展法  estiramiento

4 指圧における強圧。Presion con mucha fuerza

以上の四つのテクニックが、禁止技になります。

この辺も考慮して治療を進めていくことも基本と考えています。

勿論、診断をするのは、医者だけの領域であります。

しかし最低限の身体の常識を考慮したうえでの全身指圧治療は、代替療法(予防医学)の一つであります。

この事を考慮して阿是指圧療法で患者様をケアーするには、最低限の予備知識を必要とすることを前提として、ここに皆様のご協力のもと、患者様の身体を診る観察法の本を作成し、そして世に送ることができました。

近代医学が、どんどん発達して沢山の人間の命が救われるようになりました。

しかし一般の人間の身体は、近代医学に比例してどんどん進化しているかというとそうでもありません。

心身一如といった言葉が死語になりつつある現代ですが、意外に人間の身体は、手当てという原始感覚手法を好みます。

手のぬくもりを感じる、ただそのことが肉体の救いになることを指圧を通じて、経験しています。

手のぬくもりが、救いになることが、まだまだ存在します。

私たち治療師の最後の決断は、第六感であり、直感です。この感覚を前面に出して治療をするのが阿是指圧哲学の一つです。

この本が、阿是指圧プラクターの手当て治療の副読本になることを願います。

 

 

阿是指圧 代表

及び塾指圧プラクター  塾長 小野田茂

2024年9月30日
by 小野田
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ジャパンウィークエンド(japan weekend Spain)とヨーロッパの指圧事情

japan week 1 自己指圧デモ

日本ブームの嵐が、世界中で湧きおこっています。スペインもヨーロッパの国々同様に漫画世代の若者が、漫画ストーリーの主人公のコスチュームを着て、会場を歩き回り、その世界の主人公になりきって、一日を大いに楽しむといったお祭りイベントが、スペインの大・中都市で、頻繁に開催されています。

マドリッドのこのイベント(ジャパンウイークエンド)は、スペインで一番規模が大きく、また歴史も一番古いので、通常2日間で,約6万人が入場するとのことです。

こんな中、イベントの大会実行委員会が、スペイン日本人会とタイアップして、会場の一角に盆踊りのやぐらを設けてみんなで踊ろうという企画が2、3年前から実施されています。

大変好評という事で、今年も漫画の主人公のコスチュームを楽しむスペイン人の若者と浴衣を着た日本人が、踊らにゃソンソンという事で、この大会が実施されました。

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そんな中、スペイン日本人会からのご招待で、指圧のブースを日西指圧学院が頂き、日本の文化である指圧の宣伝を兼ねて、スタッフと旧生徒が、9月21日22日の両日MADRIDの郊外にあるIFEMAという超ビッグなイベント会場で、未来の指圧ファンである若者に、大いに指圧の宣伝をさせていただきました。

今指圧という言葉は、ヨーロッパにおいては、だいぶ知れ渡っています。

浪越指圧のヨーロッパの歴史は、オランダのビンクス先生、イタリアのパロンビーニ先生が、浪越指圧を1964年の東京オリンピックの前後に来日して、直接、徹先生、徳治郎先生に習ったのが始まりと言われています。

その他には、小林秋朝先生、徹先生、徳治郎先生が、パリのエスティシャン協会と理学療法の団体の招待でパリに赴きセミナーを何回も開催したことが、浪越指圧のヨーロッパ進出の始まりです。

同時期にやはり、日本指圧専門学校の教師として、働いていた増永静人先生がアメリカ、主にニューヨークで自らの指導の下、セミナーを何回か開催して、アメリカ本土に指圧を普及しました。所が、まもなく不幸にも、志半ばで癌を患い死去しました。

後に、通訳としてお手伝いをしていた大橋渉先生が、禅指圧という名前を命名して、ヨーロッパで普及させて、大いに広めました。後にOOHASHIATSU というネーミングを付けて、たびたびヨーロッパにて講習会を開いています。

禅指圧というネームで指圧を広めた大橋先生は、90年代8割方の指圧関係者が、禅指圧を習っていたとも言われているほど影響力を持っていました。

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この時代は、第一時期ヨーロッパ指圧ブームともいわれています。

このバブルで浮かれていた2000年代は、浪越指圧を前面に出して、戦っていた私の歴史でもあります。

岸先生(癌にて死去)の整気指圧、遠藤先生のタオ指圧、オランダの宮本先生、宮下先生、イタリアの佐々木健一先生(医王会)、フランスの渡邊先生(旧臼井)夫妻等が現役でヨーロッパ諸国で活躍しております。

主だったヨーロッパの指圧の指導者は、すべてが浪越の出身です。

他にもヨーロッパ以外では、バンクーバーの池永清先生、トロントの斎藤健泉先生、アメリカハワイ愛泉指圧学院(アメリカハワイ州マッサージ免許認定校)の因泥文彦先生等が、今でも現役で、徳治郎先生のスピリットを受け継いで浪越指圧の根を張り巡らすために孤軍奮闘しております。

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当学院は、年に4回 老人ホーム、年に2回修道院に赴き指圧をボランティアしています。

しかし指圧の未来を考えるとこのような若者向けのイベントに積極的に参加して疲れ切った(スマホ、コンピューターの使用過多)若者に指圧を受けさせることにより指圧の良さを若年層に浸透させることを重点的にキャンペーンをしています。今回のイベントで2日間160人に座位指圧を施術しました。有料にもかかわらず沢山の若者が、指圧を堪能しました。

介護的(ご老人)要素の指圧が、日本では一般的ですが、お子様の指圧、妊婦の指圧、更年期前後のご婦人の指圧、美顔と全身の指圧(エステ)等、指圧の市場は無限です。予防医学の時代に指圧のニーズは、ヨーロッパにてますます増えるとこのイベントを通じてますます感じました。

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塾SHIATSUPRACTOR  塾長 小野田茂

 

2024年9月16日
by 小野田
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ボケ勝ちの巻

久しぶりにダウンタウンのラストロという名前の付いた蚤の市に行ってきました。骨董品が売られていたのは、昔々で、もう、無残、無惨 大半のテントは、中国製の洋服が売られています。それでも結構買う人がいてそれはそれはで混んでいました。昔を懐かしむわけではないのですが、確かに昔は、ガラクタは超ガラクタでも、客の魂をぴくんとさせる、品物があったのですが、プラスチック製にそんなことを望んでもしょうがないと言えば、それで会話が途切れるのでした。銀製の食器類の古いのは、ここ西洋だけあって、素晴らしいガラクタがあります。その辺を物色できる予算がないので昔から真鍮製のお茶のみとか、マーその辺のガラクタは、随分集めました。価値はないのですが、何か昔の人がごくごく平凡な人が使用していたであろう真鍮の食器類、誰が使ったかわからない品物です。人形と同じように収集を嫌う人もいるけど、私は、あの多彩な形の数々に翻弄されます。また以前の所有者の生活物語を想像させてくれて誠に夢が膨らみます。

サーカスのポスターは、毎年クリスマス近くになると商店街にある電柱などに貼られてあるのをのをよく見かけます。夜散歩がてら前もって昼間、どこに貼ってあるかを下見しておいて目的地に一目散です。1枚、2枚じゃ迫力がありませんが、40年間に集めたポスターの数は、確かに迫力があります。

 地方にクリルマス頃行くとやはり田舎ほど、毎年の子供たちの楽しみであるサーカス団が来ているものです。超やぼったいポスターをこれまた手に入れるのでした。昔はノリでべたべた、ここ10年ぐらいはセロテープでバリバリに貼ってあります。のりのほうがきれいにはがせるものです。セロテープはいけません。集めることに興味があり、集めると戦利品はほったらかしです。

 この夜歩き、ガラクタ争奪の癖は、20歳ごろバルセロナに遊学していた頃からのものです。もう半世紀前になるのですが、あの頃は、古い建物を壊して新しい建物が、どんどん建て替わっている時代でした。そんなこともあり、街角のゴミ収集場所に結構、革製の旅行鞄とか、昔のごつごつのコートとか、宣伝でもらったおまけの商品とか、もうすでに新しい家には、まったく似合わないガラクタが結構捨てられていたのでした。それを私みたいな暇人が夜、あくまで散歩がてら、探しに行くのでした。結構同じ目的の人が、克ち合ったりして、ニヤッと挨拶したり、いい青春だったと自己満足しているのでした。一方スペインに勉強に来た人は、そのころ黙々と自室で、勉強していたわけであります。あれから50年たった今、あの頃の戦利品が、いくつか保存してありますが、確実に私があの世に逝ったら、その翌日には、息子、娘が、ごみ箱に捨てていることは、確実です。

趣味で集めたものは、当人には貴重でも他人から見ればガラクタですので、その辺は勇気をもって処分をすべきなのでしょうが、その辺のゴミが、またまた集められてどこかのガラクタ市で売られていることが予想できます。この現実を嫁さんは、端的に,ボケ勝ちねと言って苦笑いです。確かに私が嫁さんより早く逝くかそれとも逆か、確かに先にぼけた方が、何かと得なことは確かなようです。

 

2024年8月20日
by 小野田
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第2ラウンド ゴング 2024年

40年もヨーロッパにいて、旅行をしたかと聞かれれば、スペインにいること自体が自分に取っちゃ外国にいることなんで、祖国日本を離れての40年間という事で、旅行のしっぱなしとが結論のようです。それでもこの夏は、超異常気象なのか、いつものように夏のマドリッドは、ガランガランなのですが、今年は、超ガランガランで、どこに隠れているのか、私が住んでる移住地、まったくもってガランガラン。それでも昔は、一か月の休暇をフルに消化していたスペイン人、賢くなって2週間で夏休み終了、あとの2週間は、クリスマス休暇と分散するようになりました。そんなこともあって、ダウンタウンは、旅行者なんかで、ウジャウジャなんだろうけど、今年の夏は、確かに人が少なく感じます。

そんなことを言っても、公務員は、いいとして個人企業に身を置くサラリーマンは、やはり厳しいようで早期退職とか、四十五、六で、お払い箱の可能性が、あるんで、どこの国でもその辺の年代の人は大変みたいです。

今パリで、オリンピックが、終わったばかりですが、あの国の労働者は、まったく権利だけを要求して、働かないので有名だから、夏のオリンピック、色々問題があったけど、フランス人が、夏に働くわけないじやないとみんな思ってたんだから、あの程度で終わって胸をなでおろす人がわんさかいたと思いますよ。

とくにマクロン首相やパリの市長なんかこの程度の批判で、終わってほっとしてると思います。フランス人は、過去の栄光を、今でも引きずって、生きている人が、随分います。スペインもそうですが、貴族の階級が、今でも存続している国です。勘違いの国のベストテンに入るんじゃないですか。

スポーツなんかを見るとオリンピックのフランスの柔道選抜、すべてが、黒人で占めてましたね。サッカーのプロリーグにしても特にフランスは、黒人ばっかしです。フランスと言えばアランドロンやフランス人形、差別という言葉は抜きにして、国の代表が、黒人独占のこの異常さが、植民地支配で富を得てきた国の末路と思えば納得します。。日本のお偉方も 舵を間違えたら大変な事になるとの教訓が、ヨーロッパの国々にはあるのですから、学ばなければなりません。

ヨーロッパの国の一端であるスペインに住んでいて、今まで感じなかったことが、いま改めて感じることは何か聞かれると何と答えますか。

そうですね、オリーブ油をスパーで買うと、以前の2倍以上に上がったという事です。スペイン人は、オリーブ油なんて言うものは、日本の品物に例えると納豆ぐらいの庶民性をもって使用しています。今まで庶民の当たり前に使用していた品物が、2,3割の高騰を余儀なくされています。この事は、ウクライナ、ソ連。ハマス、イスラエル等の、目に見えないストレスを国単位で、間接的にまたは直接的に、感じている現状がヨーロッパには、あります。

日本も隣国間同志の緊張、南海トラフ等、自然環境の問題も目に見えない緊張をもたらしています。

9月が始まるとヨーロッパは2024年第2ラウンドの始まりです。ボケの私の唯一の武器である第6感が妙に緊張しています。

2024年7月29日
by 小野田
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40年のお陰様

 1984年6月にパリから夜行列車で、スペインの首都Madridに早朝到着しました。マドリッドに近づくと線路沿いに真っ赤なけしの花が、咲き乱れていたのを鮮明に覚えています。あれから何やかやで40年の月日が、経ちました。お天道様に見守られどうにか、しのいでこられたことのラッキーさに、我ながら驚いています。スペインの懐の深さに感謝するとともに、指圧のお陰を深く深く感じる日々でもありました。

 西暦2000年前後のバブル、そしてオフィイス革命、すなわちコンピューターや携帯電話の普及は、人間社会を根底から変える嵐をこれでもか、これでもかと浴びせかけました。その嵐に耐えるものだけが、生き残る人間社会を作り出しました。その結果、人間様は、精神および肉体のストレスを日に日に蓄積するようになりました。

世界中の人々が、まさに主人公であるはずの人間様の優秀な一かけらのグループが制作した小さな機械に操られるようになりました。人間様の大半が、その機械の依存症になってゾンビの如く、生きるようになったのです。電車の静まり返った空間で、手元の機械を操り、一人、にやにやするする人を見るとぞっとしませんか。そんなハザマで、生きる世界中の若者は、闇に追い込まれてやっと息をしています。知らぬ間にはっと気が付くと、身近な人を殺めたり、急に感情のコントロールが不能になったり、まさに心身一如の言葉が、死後になっているのが現状です。

スペインに住む意味を噛みしめた時代も今では、グローバル化が進み、どこに住んでも、同じ種類のストレスが生じる世界に生きることに気が付きます。この社会現象が、私のこの職業に希望をもたらしたのですからお陰様の一言です。二人に一人が、癌の確立があります、WHOがいけシャーシャーという時代です。その発表をうんうんとうなずく我が世代。これも無知上の異常現象かもしれません。もう自らの予防医学実践と神様へのお祈りしかないのかもしれません。

飽食の現代、この食べることもストレス発散の妙薬と社会は、受け止めているのかもしれません。食べないことの喜びは、結構人間様のハピネスホルモンの促進に一役も二役もお助けすると確信します。どうせ一度は、死ぬ体なのですが、枯れて死ぬか、腐って死ぬか、そりゃー枯れて死ぬ方が、スーッと天国に行きそうですね。

追記

パリ五輪の開会式,おかまの祭典で、賛否両論、あれはあれで、私は、いいと思う。フランス政府も炎上の予想はできてたのだから知らんぷりすればいいさ。しかしごめんなさい姿勢になりつつあります。

別にダンサーが悪いわけでもなく、演出家もOKが出てたんだろうから、つら抜けばいいさー。何時もこんな時に、最初に逃げるのは、利権で稼いだ政治家さ。これは、フランスもアメリカも日本も同じさ。スポーツに政治が絡むとろくなことがない。しらけオリンピックは、もう限界だろうに。