イタリアは、どういう訳かは知りませんが指圧が盛んな国です。今回招待されたローマにもたくさんの指圧のスクールがあります。以前にも述べましたが、歴代の首相を指圧したお陰か、バチカンの2代前の大将を指圧したのが、効いたのかは知りませんが、何しろ指圧が盛んな国です。治療所より学校のほうが多いんじゃないかといわれるほど小さな寺子屋指圧が沢山あります。小さい寺子屋が連合を作り2千人ぐらいの団体が3つあります。其の団体が、毎年2回ぐらいの割合でセミナーを開催しています。招待パネラーも毎年2回の大会であれば、新しいパネラーを探すわけです。そんな時スペインあたりでえばっているのがいるぞ―との噂を聞いたのか、そのうち、うちの学校にメールが入り、ジャーOKいくぞーと何回となく招待されてローマに、トリノに、ミラノに、シシリアにと指圧ドサ周りを何回もしたのでした。
今回はローマということで、さてホテル位、金使えよと願いつつ行きましたが、今回の会場は、なんと修道院、そして泊りが、その付属の宿舎を主催者が用意したのでした。ローマの郊外だったり,市の経営する道場であったり、さすが地元のコネを利用して、毎回主催者の努力に脱帽なのでした。イタリアのホテルは、5つ星は別にしてマー普通のホテルは、バスなし、シャワーのみのオテルが普通なのでした。何時もホテルのバスにお湯をためて持ってきたバスクリンを放り込み、ゆっくり入る風呂をいつも夢見て、ドサ周りに行くのですが案の定、当然の如く今回は、シャワーなのでした。しかしこの修道院は、広い敷地にオリーブの木があり、野菜畑があり、バラの花まで咲き乱れている光景は、まさに別世界なのでした。教会も立派の一言で、毎回ながらどっからお金が降ってくるんだろうといつも疑問なのでした。そしてゴルゴサーティーンもまんざら嘘でもないと思う自分なのでした。
聞いたところによると40人ほどのシスターが共同生活をしているとのことでした。宿泊施設も立派で寝るだけなら問題なしの一泊50ユーロ(約6500円)の宿舎なのでした。セミナーを無事終えて地元マドリッドに帰ってきて、スタッフとお茶を飲みながらこんなところに宿泊したと話すと、こんな場所は、飯は時間厳守、携帯電話取り上げ、10時以降は開けてくれない、何しろ泊まりたくないならその方がいいよのモードがあたり前らしいのでした。しかしなんとこの宿舎は、シスターたちが何しろ明るくて、何しろ話し好きで、何時に返ってくるんだと聞くんで、11時ごろかなーと答えるとジャー正面玄関を開ける自動キーをと貸してくれるのでした。その上、一日目のセミナーが終了して街に繰り出す用意ができた時に、雨が土砂降り、シスター気を利かして傘まで貸してくれました。これこそ私の人徳といいたいのをじっと我慢の大五郎なのでした。
私はスペインでも教会は、好きでぼーっとしたいときに良く行くのですが、あの牧師さんたち、そしてシスター、なんであそこまで明るいのか見当がつきません。こちらに年に何回か、座禅会の指導に来る、京都のお坊さんも底抜けに明るいのです。悟るとみんなこうなれるのだろうかと時々思うことがあります。そういえば、指圧の大先輩たちも気づかいは、鋭いけど妙に人にやさしかった記憶があります。同行したスタッフが、二十歳前後でこの世界に入り、俗界から離れての生活を死ぬまでなんで、なんでと首を傾けていましたが、まさにその通りの疑問は、確かに自分にもあるのでした。
同行したスタッフは、まだ若いので、未来を夢見て生きる意識を持てと言っても、無駄です。若さは実に魔物です。しかし私ぐらいの年になると、この地にもう来ることはあるまいこの地を見て感じることも今日でおしまいとはっきり意識することができます。年を取るとは、そういうことなのかとふと感じることがままあるようになりました。そうなると悲しみかというと悲しみを通りこしてなんか晴れ晴れと明るくなっちゃうのかなとなんとなく感じます。その感性が、はっきりした時が人生の旅の終着点であれば、悲しさを通りこして笑って生きようと思う時期がいつ来るか期待して生きるのもいいのかなーと感じたローマのセミナーなのでした。