2022年12月31日
by 小野田
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予感そして2023

今日は、12月31日ということで、何をやっているかというと、あい変わらず、いつもの時間に治療所にいるのでした。もちろん患者さんがいるわけでもないのに、かといって電話を待っているわけでもないのに治療所にいるのでした。スタッフは、もちろん今日は大みそかということで、家でのんびりしていることでしょう。私はというとこの一年の総決算ということで、一点を見つめて試考しているわけでもなく、なんとなく、わさわさの気分で、時間を経過させているのでした。

3年目に突入したコビの日々を過ごし、やっとマスクの使用なしで、来年は行けるのだろうかと半分ハッピィーな気分で、2022年最後の日を迎えようとしていました。しかし現実はどうでしょうか。

中国のコビの規制緩和と同時に中国の国民が、中国国内そして世界に、移動をし始めました。金を落としてくれる中国人は、内心嫌がられても、金を使ってくれるお客さんとしては、上等な部類の人達なので、カムカムエブリバヂィーなのでした。

スペインだってどこの国だって、田舎者と内心思っても、お金を持ってきて,どんどん消費してくれれば、そりゃー万々歳なのでした。

ここの一社しかない独占企業のデパート(コルトイングレス)なんか、スペイン生まれの大学出の中国人を雇って手ぐすね引いて待っているわけなのでした。ところがどっこい、中国発イタリア行きの飛行機がイタリアに到着、いよいよ旅の始まり早々、PCRをしたら乗っている乗客の半分以上が、コビの陽性反応と出たとのニュースが、全世界に流れました。いくらbusiness優先が方針のECの国々でもここまでひどかったら、窓際対策強化は常識だと思われますので、またまたつまずいちゃうわけなのでした。

風邪をひいても、死ぬ時は死にます。ちょっとぐらい、いいんじゃないの軽い気持ちは、若者ならば、いいんでしょうが、既往歴があったり、抵抗力の失ったお年寄りは、やはり脅威な訳です。この辺が、欧米の隠された保健政策な訳です。何のことはない、口にこそ出しませんが、世界の保健機構は、爺さんばあさんが死んでも、または、後遺症で苦しんで、そしてお亡くなりになっても、これは順番ですからと、成田教授じゃないけど、ご老人の集団自決、すなわち死ぬ確率のアップを狙っているのでした。体のいい姥捨て山政策なのです。

この辺を既往歴のある人及びご年配の人は、気を付けなければなりません。健康な、そして生命力のある人間は、コビなんかこわくはありません。しかしやっと年金で生活できるぞと張り切っている年代の人達は、厄の年代に入っていますので、気を付けなければなりません。例え完治しても、後遺症が必ず残るということが、このコビの特徴の一つです。。この辺は、いまだに統計として出ていませんが、指圧の業界には、西洋医学が不得意な部門の半健康症候群の人達がターゲットで、ごみ溜めの掃除が私たちの仕事ですので、実際に肌で感じています。メンテナンスは、各自の仕事という現実があるわけです。現実といえば、すぐそばで、ソ連とウクライナが、ドンパチやっているというまことに持って人間の愚かさが、21世紀になってもかと、妙に無力感を感じる年でもありました。

こんなことが、いまだに継続して起こる世界を私たちは、生きているわけです。こんな日々の連続は、人間を間違いなく鬱に導きます。

また中国がなぜあそこまでゼロコビ対策を実践したのかは、彼ら自身がこのコビの世界に及ぼす影響を、または本当の脅威を知っているからだろうとも察します。この不安定な世界的状況は、来年も続くというのが、私の本能から出てくる結論です。

来年も飛び出さずに地道作戦が正解というやや消極的な来年予想で、今年を振り返り感じてみました。皆様は、どう未来を感じましたか。感謝感謝の徳を積む。どれだけ徳を積んだかは、わかりませんが。今年もどうやら生かさしていただいたことに感謝して。12粒のブドウを食べる儀式まで、我慢しておきていよう。そしてjstvの紅白歌合戦をみて、永平寺の鐘の音を聞いて。今年もどうもありがとうございました。

2022年12月26日
by 小野田
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平々凡々

先週、4回目のコロナの予防接種も済ませて、またつい先日インフルエンザの予防接種も近くの保健所で、済ませました。60歳以上が、優先的にスマートフォンに、いつでもOKですよと連絡が来るのでした。これはあくまで、強制ではなく、打ちたい人は、打ってください。一様連絡はしましたよーの通達なのでした。

後で、ごたごった言っても私たちの仕事はしましたよの,おかみからのお達しなのでした。後は国民の判断で、私は受けます。私はパス。御自由にと選択の自由が民主主義の基本なのでした。こちらでは、この程度の仕事を厚生省の下の下の公務員が、やれば十分なのでした。

こちらでの公共機関は、例えば、地下鉄や電車の案内などもほとんどなく、日本に比べると、月とすっぽんなのでした。日本の神対応といわれる、超過剰親切、悪く言うと餓鬼のレベルに物申す、これでもか、これでもかのちょっと異常な行為じゃないかとたまに思うことがありまが、これも進駐軍アメリカさんの日本人骨抜き作戦の見えない、気が付かない、効果なのかもしれません。

どこの国でも公務員は、50歩100歩で、仕事をやらないことは、当たり前田のクラッカーなんですが、何しろ責任は取りたくない、人のせいにして自分だけ生き延びたい輩が、多いのは、世界共通当然チンなのでした。

自分の意見言わないんだよが、私が感じる公務員の第一印象なのでした。石原慎太郎が、定例記者会見で、記者に対して君の意見はどうなんだよ、君の意見を聞こうじゃないかと、正論を言っていたのをふと思い出しました。

この前も、日本から来ている学校の先生、ちょっと行事の反省を兼ねてメールでアドバイスをしたら、まったく自分の仕事の結果で飯を食っている私なんかが一番嫌がる発想をメールで、私は悪くないという含みを込めた上等な文で返事が来ました。

もし私たちのしたことに対してお気にいることがありませんでしたらお許しください。個人的に良いとか悪いとか言ってんじゃないのに、上等な作文で、返してきました。この文の裏意味は、何のことはない、私たちは、誠に持って正しい仕事をしましたが、私たちのやり方が、気にくわないのであれば、それは、価値観の違いでしょうがないことです、程度の返事なのだと私は、察しています。

昔は、骨のある駐在員や役人がいましたが、今は、へのツッパリにもならない輩が多いですね。3年無事に勤めて、スペイン滞在期間にダブルでもらう給料を家のローンのたしにしようなんて言う、うざい考えの自称エリートが多すぎますね。そんなやつに限って,来もしないのに、アー肩が凝った、一度お願いしますよと言うんです。自分の体に投資をする人は、何も言わずに黙々と通院してますよ。それにあんたなんか来なくても、うちは、いつも満員ですよ。言いたいけど、ここまで言うと嫌味になりますので、お願いしますとオーナーの余裕で、対応しますけれどもねー。サラリーマンは、自分の身体に投資しませんね。最もダメサラは特に。

私なんかの自営業は、病気になれば、干上がり、患者が来なければ一銭も得られない商売、その点の甘さが全く許されない世界で生きてきたので、砂糖の塊のような甘さが見える輩には、まったくもって不快感を覚えることは、昔よくありました。

しかし今は、そうでもないですね。次代が変わり価値観も変わったことをリタイヤ手前で、認識しました。特にコビの3年間をどうにか生き延びて、会社もつぶさずに、スタッフが全員コビに罹患せず、相も変わらず患者さんが、8割程度の維持ではありますが、成り立っていることをほっと感じる今、この辺で我が人生の突っ張りにもご苦労さんをいつ言おうかと感じる今日この頃なのでした。さらに神に近づいたのでした。

まだまだやれるうちに引き際を考えることは大事なことで、それでは皆様御機嫌ようの時期を考えている今日この頃なのでした。この商売、結構な年でも、いや結構な年だから、患者さんや弟子が確実に増えるのですが、スパッとやめることが、希望でもありますので、2023年は、その辺がはっきりする来年なのかもしれません。後悔はないけど未練は少々の自分の引き際、さて来年は、、、、、、、、、、。平々凡々の奥深い意味が、解りつつある今日この頃なのでした。

2022年12月24日
by 小野田
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スペインのチャイナタウン

私の治療所は、スペインに来てから今まで、同じ場所にあります。マドリッドの北に位置します。サッカーのクラブチームが本拠地にしているスタジアムが、どでんとある、その場所から数分の所に位置しています。昔は、アメリカの軍人さんが多く住んでいたそうで、コリアン地区といわれていたそうです。

軍人が住んでいたということは、当然怪しい場所も沢山あり、私が営業を始めた80年代には、そんな面影が至る所にありました。今は、パブやバーにリフォームされていますが、なんとなく面影は確かに残っています。比較的ミドルからハイのスペイン人や外人が住んでいました。そんなところをたまたま40年前に指圧という何が何だかわからない手技療法を始めたわけですので、どちらかというと日本に行ったことがあったり,公務で、日本に3年ほど滞在したりした、日本大好きのお宅的親日家が、治療院の患者さんでした。そんなことも影響してか最初のアプローチは、結構楽だったように思います。実際、スペイン人は、アジアの中で,MOTOのHONDA,KAWASAKI が好印象を与えているのか、日本好き好きお宅が結構います。そんなこともあってか外人が多く住んでいるゾーンに指圧治療所を構えることが、今考えると超正解だったように思います。

実際ある運勢を見るおばさんが、北に北に衣を構えなさいとの一言に、うっかり乗って今まですべて北、北の場所をあえて選択してきました。南に衣を構えていれば、こんなに長くいないで、とっくに日本に帰っていたかもしれません。

余談になりますが、今までの仕事の量で言えば、確かに人の3倍は、仕事をしました、これは確かな事実です。運もさることながら体が丈夫だったことは、両親に感謝しています。

私の住んでいるこの一角は、NUEVA ESPAÑA (新しいスペイン)と2000年ぐらいから呼ばれるようになり、なかなかの賑わいをキープしているゾーンです。確かに外から見るとそうなんですけど、私などは、40年近く同じ場所に住んでいますので、このゾーンの目に見えないところが良く見えることはこれまた確かですが。

このNUEVA  ESPAÑAと名称がついた場所は、超近くにメトロの駅あり、バスも頻繁に通り、スーパーマーケットも高級層、庶民層,計7つあります。また5つ星のホテルが2つ、有名なレストランが、軒並み、こんな感じの地区ですので、家賃もそこそこの値段を有しています。

普通の勤め人の月給の平均が、1200ユーロ(17万円)前後ですので、家賃が、一人部屋で、1000ユーロ(14万円)前後が普通ですので、自然と給料2000ユーロから3000ユーロの人じゃないとこの地区には住めないということです。

2000年の初めまで、この地区が、不動産の好条件の一つに挙げられていた条件の一つに中国人経営の店がなかったことです。不動産のハイレベルの物件は、その一角に中国人がいないことなのです。中国人が入り込むとうことは、不動産としていい場所だという証です。しかし中国人の経営のコンビニ、レストラン、洋服屋、爪の手入れの店などが、できるとそれだけで、不動産の価値が下がります。

スペイン人は、恐れ多くも白人です。アジア人を平等に見ているように一見ふりをしますが、所詮それは表の顔です。特に中国人の無道徳、店の玄関先の汚さ、融合性の無さ等を嫌います。中国人が、この地区に店を開いたのが、2000年の初め、それから何件の中国系の店ができたことでしょう。巷の声は、あいつらが来ると不動産の価値が下がる、これはまぎれもない事実です。

10年後20年後先を見れば、価値は確かに下がるのです。ただ初めは、中国人の店員が目立ちますが、歳を重ねるたびに中国人の店員がいなくなり、外人か、スペイン人が大方を占めて、オーナーは、中国人だけれどもう出てこない、といった構図に大方が進むのでした。

ここからちょっと離れた地区の話なんですが、始め一つの中国店が店を構えました。それから20年もたっていないのにこの通りは、完全にチャイナ通リになりました。チャイナ通りができれば今度は、チャイナタウンです。実際USELAという地下鉄名がある南の場所は、正式にチャイナタウンを作り、お客や、旅行者を呼び込もうと正式にチャイナタウン宣言をしました。この辺は、お金と行政が絡んで、できるプロジェクトですので、もう中国が、スペインに容赦なく入り込んでいる証です。

おそらくスペインだけじゃなくヨーロッパの国々も浸食されていることが予想できます。日本の沖縄よ、北海道よ、いつの間にか中国マジックにGIVE UPされたりして。目に見えない恐ろしさ、この辺はスペイン、日本より何故か超寛大なのでした。

2022年11月27日
by 小野田
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2023年は、晴耕雨読

昨日、武漢ウイルスの予防接種をマドリッドの郊外にあるとてつもなくでかい病院(ZENDAL 病院)に予約を取って、はせ参じました。場所はマドリッドの郊外に位置して、レアルマドリッドというクラブサッカーチームの練習場がある所です。はじめは、ここにスタジアムを建築して、そのまわりに高級マンションをドンドンおったてて、富裕層の投資家においしい汁をすすらせようと計画を立てましたが、そうは問屋が卸さないといった感じで、もたもたと利権が浮いたり沈んだりしている場所なのでした。

要は、レアルマドリッドの大将の建築会社社長のペレスさんが、レアルマドリッドを絡めて一つの街を作るというとてつもない計画を立てたのですが、スタジアムは、やはり元のマドリッドの北側の住宅、及び事務所がある所のほうが、お客を呼び込みやすいという単純な商いのおきてに従い、スパッと計画を断念したのでした。スタジアムの補修工事が始まったのですが、さすがレアルマドリッドの利権は、莫大らしく、交通渋滞なんのそのスタジアムの補修工事は、住民の迷惑などお構いなしで、マドリッド州の知事も知らんぷりの突貫工事最中なのでした。

しかしこのマドリッド郊外の計画地は、10年20年単位で投資をしている金持ちがいるわけで、やはりここは、魅力のある場所で、十分投資の対象になる場所なのでした。しかしながら我々貧乏人は、現金がすぐに動かせません。そしていつも一歩遅れて動くので、どうしても、金持ちの仲間には、入れないのでした。

ここの金持ちは、外に出てきません。しかし富裕層は、確かに存在するのでした。娘が学生の頃、無理して、いい学校に行かせたら、クラスメイトの、お父さんが実は、マフィアのボスだったり、またクラスメートのおばさんが 300㎞も離れた別荘に自分の領地だけを使用して行けたりとか、マーとてつもないスケールの人達が確かに、この世界にはいるということを知らされたものでした。

日本でも、終戦後、進駐軍が、平等にということで、田畑を貧乏人に分け与えましたが、今でも旧何々の別荘といった、でかい庭園が、カレンダーの写真で使われたり、結構不平等な世界が日本にもあったのでした。スペインは、まだ貴族社会が存在するので、大部分は、落ちぶれていますが、まだまだそんな世界がある国スペインなのでした。

ちょっと横道にそれましたが、予防接種の予約を取って時間通りに行った1年前と比べると、病院の外に人が、溢れて、タクシーも仰山の光景が今回は、なんと広い会場に私だけの貸しきり状態なのでした。2年前、マドリッドの保健課の鳴り物入りで登場して、極光を浴びた、この場所が、左系の議員さんが、喜ぶ光景になってしまいました。

こりゃ確かに赤字の垂れ流しなのですが、あの時は、確かに沢山の人が死んで、アイススケート場を仮の死体安置場にした事実があるのですから、何とも言えません。クリスマスと連休が、近づいているスペインも、ご多分に漏れず、老人ホームの集団コビ感染が、ぼちぼちニュースに載るようになりました。病院の集団感染も知り合いの医者から聞く機会が何回かありました。

いつまでたっても、しっくりいかない、コビの状況です。来年の1月、2月、インフルエンザと武漢ウイリスのドッキングで、またまた驚異のハリケーンが来るかもしれません。当分は、マスクとうがいは、いつものように実行した方がいいのかもしれません。

電気代、食料品の高騰、コビそしてインフルエンザ、そしてウクライナでのプーチンの嵐、誠に不安だらけの師走のマドリッドなのでした。確かに元には、ぜっったい戻らないという確信を持ちつつ2023年を後一か月で迎えようとしています。

2023年、頭を低く様子見で、這いつくばって生きるか、それとも一か八かの運に賭けるか。そうですねー、これだけの不安状況であれば、這いつくばって生きるしかないでしょうね。

2022年11月21日
by 小野田
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小樽そして帰路仙台

札幌は、夕方到着して次の日は、小樽ということで、札幌のタワーを見てお終いでした。姉貴の娘さんが、札幌に旦那の仕事の関係で、いるということで、とりあえず来たわけですが、その夫婦が、休みを取ってくれて、車で、小樽に連れて行っていただきました。小樽といえば、鶴岡まさよしと東京ロマンチカのあのイントロの有名な小樽の人よが、頭に浮かぶのですが、冗談で、この辺のボケを言ったら、笑いにもならなかったので、時代なんだなーと一人ため息で終わってしまいました。小樽といっても運河と倉庫しか思い浮かばないおじさん何んで、その辺で手を打って、倉庫の並ぶ運河沿いを散歩したのでした。月曜日だったにもかかわらず、結構の人人で、なんとなくのかっこはつく、小樽でした。

その夜は、この倉庫群の真ん中あたりに位置するかなり広い小樽政寿司という結構有名なお寿司屋さんに入りました。平日にもかかわらず、40分待たされたわけですが、あとで聞くとこれはこれで、ラッキーなんだそうで、普通なら2時間待ちは、普通とのことでした。私は、待ってまで、食う代物か派なのですが、接待も物腰が低く魚の新鮮さが、半端じゃないとド素人の私でさえも思った次第で、合格点のすし屋さんなのでした。

その日の泊りは、宏楽園(小樽朝里川温泉)という観想な、純旅館を従妹夫婦が予約してくれました。誠に静かな広い日本庭園のある旅館で、大満足の一日でした。温泉は、いいよなーの連発で大満足なのでした。ただ、今日本は、焼き肉の再ブームなのか至る所に焼き肉屋があり和牛和牛と騒いでいますが、大腸がん、特に前立腺がんが急増して、今更ながら食事の西洋化が、問題になっています。4人に一人の癌が、今では、2人に一人の割合に上昇しても、もうだれも驚かない世界になったことに少々戸惑いを感じるのは、私だけでしょうか。確かに焼き肉は、おいしいよなーの一言で、10年後の健康なんて誰も考えないのが普通なのかもしれません。飽食の時代の反省なしに,とくにヨーロッパの冬に問題が出るであろう燃料問題に注意が注がれている背景には、これからの世界が、ハッピィーな時代からますます遠ざかる予感を、誰もが持つ時代に突入していることは、誰もがみんな感じているわけです。

朝早くおきて、小樽から札幌に移動、10時半の特急北斗で、新函館まで移動、そこから新幹線で、仙台に直行、夕方仙台に到着、仙台の駅前のホテルに一泊しました。仙台は、なんと30年ぶりということで、楽しみだったのですが、駅前の変わりようには、驚きました。開発開発の波乗りが長年続いたようで、東京の渋谷、新宿の駅前開発と何ら変わらず、まったく、魅力のない仙台になりました。各都市の代表駅前には、それなりの顔をがあるのですが、仙台は、まったく魅力なしの都市になった感じがしました。妙に牛タン牛タンの素朴さを置き忘れた感じがしました。函館はもう一度の感じがしましたが、仙台は、もういいやの妙に田舎地方都市の背伸び開発の後遺症が感じられました。

そして次の日の昼には、新幹線で、大宮まで2時間、誠に持って日本人の風情の無い、次々次の慌ただしい旅が終了したのでした。ゆっくりが出来ない人の新幹線御利用の旅が終了したのでした。

2022年11月16日
by 小野田
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函館は五稜郭なのだの巻

東北地方の旅は、なんとなく後回しという感じで、こんな年になってしまいました。地元が大宮なので、行こうと思えば、新幹線を使って金沢、東北、そして、北海道まで、じゃんじゃん行けるのに、今回初めて大宮駅から新幹線で、北海道に行くことになりました。北海道(札幌)まで、JR東北新幹線を使用して7時間41分の旅ということでした。片道料金が26630円例えば、大宮駅を6時57分のJR東北新幹線に乗ると10時53分新函館北斗駅着、11時05分発北斗9号に乗って札幌着14時38分という長旅になるのでした。暇な身なので、もちろんこの電車旅でいいのですが、普通の出張ならば、飛行機で、朝一番の札幌行き、最終の羽田行きで、泊まらないで、商談を済ませての日帰り旅だよと、誰かが言っていましたが、急ぐ旅でもないので、こんなもんでしょうと納得したのでした。

とりあえず函館で、一泊ということで駅前のホテルに泊まったのでした。夕方到着だったので、ホテルでゆっくりと思ったのですが、チェックインしてバスで、五稜郭まで、フラフラといったのでした。五稜郭といえば、土方歳三のイメージが飛んでくる私なのですが、何故か学生の頃、関東のテレビですと、朝日テレビチャンネル10なのですが、燃えよ剣という新選組の副長土方歳三の生き様をテーマにした、司馬遼太郎作の小説のテレビ化の番組が、好きで毎週かじりつきで観た思い出があるのでした。

主演は、栗塚旭という渋い俳優が、踏ん張っていました。この作品で、この俳優は、土方歳三の役で一躍有名人になった俳優です。沖田役も,島田順二という、今では、3枚目役が多い俳優が演じたりして、新選組のイメージがまだ世間様に届いていない時でした。どちらが、正義で、どちらが悪という価値観ではなく、一百姓での日野の剣術家が時代の流れに逆こうして、自分の信念をただすために、最後は,函館で戦死するという土方歳三が、妙に私は好きなのでした。榎本武揚の生き様と新選組の生き残り土方歳三の生き様の違いがはっきりしていてこの辺も実に面白いのでした。

今は、目が疲れ気味のためか、あまり本を読まなくなりましたが、あの頃は、読書青年だったのかなーと思います。池波正太郎、城山三郎、五木ひろしの青年は荒野をめざす等を読み漁っては、俺は、何がしたいんだと自問自答した、青二才の若造が、一人いたのでした。

北島三郎の歌に函館の歌があったように思いますが、その程度の知識なのでした。次の日の朝、ホテルの近くの朝市に出かけましたが,一見の旅人には、この程度のお愛想的な感じの客の接待で、それで、いいんじゃないと妙に納得したのでした。

函館、札幌、小樽ぐらいしか行かなかったのですが、電車の案内に中国語が流れていたので、ここはゆくゆくは、中国人に占領されて華僑さんが、どんどん増えて中華街誕生もまんざら嘘でもない現実が、あるのかなーと思いました。

それにしても北海道というと議員さんの鈴木宗男さんをイメージしちゃうのですが、ソ連の味方でおしゃべりして、ウクライナの戦争で、ソ連を見方をする意見をこんな状況でもするのかなーとふと思う私なのでした。

こんな感じで、到着日の夜何とか横丁で、お酒をやらないので、もっぱらホッケとにしんの焼き物でご飯をたらふく食ってさすがに魚はうまいと実感したのでした。こんな時は、お酒なんでしょうが、ある時からお酒を飲むと体全体がむづかゆくなる、一見して肝機能低下を呈する状態になるので、お酒はなしなのでした。結構函館好きでしたよ。

次の朝、北斗で札幌まで4時間の旅なのでした。この函館札幌間、弁当、飲み物全てなしの我慢の4時間でした。車内販売をすると、赤なのかなーとふと思ったのでした。

2022年11月6日
by 小野田
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旅はいいよなー。

お袋の49日の出席のために日本に帰国しました。今回は、娘の真美子も同行ということで、日本についた際の書類の提出が、簡単かと思いましたが、案の定、1時間半かかって、到着口にやっと到達しました。実際、マドリッドからフランクフルトまでの機内の乗客、ほとんどの人がマスクなし、マスクをしている乗客は、日本人と幾人かのご年配のみ、機内のサービス係のアテンダントは申し訳程度のマスクを使っていました。その程度でOKなのでした。

しかしフランクフルトから羽田までの全日空は、乗客全員マスク着用、この差が如何ともしがたい現状です。外人が、インバウントで増加と盛んに滞在中、テレビのニュースで、吠えてましたがあれ嘘ですね。水際対策のめんどくささと日本国内のマスク着用の現実がある限り、外人のリピートは、まだまだと私は、見ています。日本以外、特にヨーロッパは、既にほとんどの人が、マスクなしでの生活に入りました。その点、日本は、長年の慣れもあってか、外では、ほとんどの人がいまだにマスクです。日本国内のマスク環境が、改善しない限り、観光での大幅な、増収はどうかなと思う私の目線は、正しいのか間違っているのかは、来年の春ぐらいにわかるんじゃないかな。

今回は、北海道に旅行しようという娘のリクエストもあり、マドリッドで、ジャパンレイルパスという外人のための国鉄使用のための割引券をゲットしました。娘は、スペイン国籍ですので自動的に購入、しかし日本人である私は、10年以上他国に滞在しているという証明書(在留証明書写し)をここの日本領事館からいただいて、今回は、HISの事務所に行きゲットしました。

取り敢えず一週間有効の割引券を買いました。日本円にして約3万円で購入しました。この券は、一週間の間、国鉄乗り放題のお宝券なのでした。今回4日間の北海道旅行でしたが、合計約7万円の新幹線及び諸々の費用が、この券で、約2倍のお得となりました。7日間フルの利用であれば、まったくもって大サービスの制度なのでした。その制度も、今年いっぱいで、無くなるとかの噂もありますので、使える権利のある人は、大いに利用すれがいいと思います。実際みどりの窓口の係員も、大変親切でしたし、東京函館間の新幹線も時間通りの運航で完璧なサービスも加わって、確かに外人は、喜ぶだろうと想像ができます。

新幹線の使用というと、とかく関西方面特に京都、奈良あたりを外人は、喜ぶようです。もちろん初めての日本旅行であれば、東京の広さを実感していただくために、はとバスルートを推薦します。東京を本当に堪能したければ、1週間は、必要です。その次に定番として、東京のホテルの一泊した後、早朝のバスに揺られて箱根まで直行です。箱根の半日旅行が終了すると、バスは三島まで行き、三島から新幹線に乗り、京都でおりて2,3日の京都、奈良旅行が始まります。高校の修学旅行よろしく、半分旅館、半分ホテルといった団体さんのホテルに紛れ込んで行けば、安い旅行が、楽しめるかもしれません。このプランが、初めての日本旅行の定番です。

2回目3回目になると、九州に足を延ばすかもしれません。ここで好き好き日本の外人は、次に行きたい場所は、東北、北海道となります。新潟、金沢も新幹線でいける時代になりました。外人だけではなく、私のような、日本旅行知らずの人間には、余生日本の旅を満悦するという死ぬ前の贅沢が残っているのでした。ぜひ実践したいものです。

スペインで例えると第1回目のスペイン旅行は、マドリッド、バルセロナ、時間があれば、南のグラナダ、コルドバ、マラガ、こんな場所が、定番です。第2回目の旅は、慣れたところで、北のバスク、サンタンデール、ビルバオといったグルメ通には、たまらない場所を選んで、旅をするのではないでしょうか。

次回は、北海道旅行のレポートを書きたいと思います。

2022年10月12日
by 小野田
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堀さんお疲れさまでした。

堀さんが、お亡くなりになったとのうわさが聞こえてきました。堀さんといわれても、どこの堀さんということなんだけれども、長くマドリッドにいる土着邦人は、アー、堀さんがお亡くなりになったと聞けば、フーンとある種、感慨深いため息を漏らす人もいると思います。

90年代の初め、ペセタもユーロに変わり長年のスペイン人の夢であったEU加盟で、はしゃぎ回るスペインの地を、つまらないスペインの始まりと思ったのかは、知りませんが、いつの間にか消え失せたのが、堀さんでした。あれから何十年たっても、この地で、歳をとっている地元邦人は、堀さん元気かなーと妙に懐かしがるのでした。あの頃は、まさにピレネー山脈を越えるとアフリカといわれて、もうそんな時代ではないと確信をもって言い切れない時代ではありましたが、妙に魅力のあるスペインだったことは確信をもって言い切れます。もちろんヨーロッパの一員何ですが、妙に田舎臭さが残っていて、パリとかアムステルダムとは確実に違った層のファンが、愛するスペインがありました。その辺の心地よさが、まだまだある、あの頃だったと思います。堀さんは、青山大学を出て,IBMに入社して、アメリカに研修に行き、それからは、きっとIBM はつまらないとちょっと働いて退職、なんとなくマドリッドにたどり着き、大方の時間は、麻雀をして、私たちを楽しませてくれたのでした。

本当に負けたことを見たことが、ありませんでした。まったくもって、負けてもまた堀さんとやりたいと思う鴨が大半で、私なども学生の頃、あのマージャンの魅力に取りつかれて、一か月分のアルバイト料を新宿の雀荘で、わずか30分たらずの醍醐味を味わった後、一瞬に消え去った給料袋の経験を何回も味わったにも関わらず、妙に狙い撃ちされて、撃沈されたり、まったくもって堀さんにはかないませんでした。でも後味が、さっぱりで、随分、堀さんに投資し続けたものです。

大方の人は、堀さんは、なんで食べているのかわかりませんでした。実家が岡山で、ダンスホールをやっていたと人ずてに聞きました。あの頃は、過去を問わないが、暗黙のおきて(マナー)だったので、マーそんな程度の記憶しかありません。

いろんなことがあったんだろうとは思います。例えば、EU加盟で、滞在の書類がだんだん増えたためにスペインが住ずらくなったためか、とにかくある日、突然堀さんは消えてしまいました。とにかく日本に帰国して、そして日本にも飽きたのか、それからインドネシアに長年住んで、地元の邦人、そして中国人相手に生活の糧を麻雀で、相変わらずという、情報は、もらっていたのでした。

死ぬまでに一度、堀さんと会いたいと思っていたのですが、実現できませんでした。

あの頃と今のスペインを比べるとまったくもって魅力が半減しました。スペインらしい孤島の頑固者のイメージが薄れ、世界の国際空港内のどこの店も有名ブランドといわれる同じメーカーの店が、独占して、魅力半減になっている現状がありますが、この現象と何か一致するところがあります。

もちろん、杖ついて、ベレー帽のおじいさんのイメージをスペインに持つ、私のほうが無理があるのかもしれません。またポルトガルのほうが、個性があるような気がしますが、50歩100歩かもしれません。

私などもそんな70年代のスペインが好きで、住みついたといっても、過言ではない過去があるだけに、良い時代のスペインをふと思い出すことが、あります。ただ爺になった証といえばそれまでですが、

新潟出身で、学生空手チャンピオンの斎藤さん。鍼師のお医者さんの外尾先生。首絞め強盗に会い、私の治療院に仕事を求めて、長年勤めていただいた京都の先生。みんなどうしているんでしょうか。まさに一期一会の時の流れです。

 

2022年9月27日
by 小野田
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スペインのお宅は、みんな優しいぞーの巻

9月に入るとめっきり涼しくなるマドリッド、朝方は本当に肌寒く感じます。もう一度、暑い日が、来るとの予想ですが、10月にちょっと暑い日が何日か続いてあとは、12月のクリスマスを待つのみとなります。すっかりマスクで出歩く人が減少して、マスク使用で街を闊歩する、輩はご老人か、東洋人ばかりとなりました。特に日本人は、必ずマスク症候群です。私などは、基礎疾患、特に心臓がウイークポイントなので、マスクは、必ず着用のおじさんなのでした。

この前の帰国の際、全日空は、機内のマスク着用は、常識といった空気でしたが、ベルギィーからマドリッドまでの乗り次便は、スペイン人の農協まがいの団体さんが大半を占め、どんちゃんどんちゃん、マスクなんか何それの、雰囲気で、日本人が何人かちらほらいましたが、皆下を向いて、早くつかないかとやきもきしながら、飛行機に搭乗していました。

こんな雰囲気が、ヨーロッパの状況ですが、知り合いの医者が言うには、ご年配の方は、重症化もあり得ます、そして後遺症も随分報告されていますので、できるなら罹患は、避けるに越したことがないとの、あきらめ半分のこそこそ話でした。

情報が乏しいのは、スペインだけではなく、ヨーロッパ全体の傾向で、やはり観光客頼りのヨーロッパの国々は、難しい立場なのかもしれません。

幸い当治療院、学校は、コビの罹患率が、めちゃめちゃ低く、各スタッフが、仕事場以外においても,注意を継続しているプロの集団なのだとの意識は、人一倍あるからか全員今の所セーフです。

3回目の予防接種が、継続実行されて、4回目の予防接種がお年寄りで施設での生活を余儀なくされている国民と医療関係者を対象に始まりました。もういいだろうと言って、4回目拒否の人もいるようですが、フランス人やドイツ人と異なり、意外とお上の言うことを信じる輩が多いのか、結構混乱もなく実行されているようです。

先週の土曜日と日曜日にジャパンウイークエンドDAYがIFFEMA(イフェマ)というマドリッドの郊外にある大催事場で、開催されました。つい先日オータンの会合が、開催されたところです。今まで、この催しは、漫画お宅の人達が、年に一回全スペインからお弁当を持って集まり、会場内を漫画のコスチュームで、闊歩してストレスを解消をする(おじさんはそう解釈しました。)催しと解釈していました。


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これに西班牙の日本人会が乗っかり3年コビのために開催できなかった、日本人会恒例の盆踊りを復活させイベントを盛り上げました。その周りにブースを創設してガラガラの盆踊り会場を少しは、化粧しようということで、当指圧學校が座位指圧で、観客を満足させようという、これも宣伝になればということで、乗っかり、旧生徒さんを集めて指圧ファンの観客を10分5ユーロで奉仕しました。

お宅の皆様も、肩凝りで悩んでいるようで、朝の10時から夕方の盆踊りが始まる夕方の5時まで2日間合計 200人弱を施術しました。指圧がここまで、知れ渡った道のりは、私が、指圧オタクであったこの一言で、衣装をまとって、会場内で、写真を撮ったり撮られたりして、楽しんでいる,ヒーローたちの姿の本性が、良く見えて、楽しめ楽しめのエールを、漫画お宅に送る自分がいたのを見たのでした。お宅の気持ちは、お宅じゃないとわからないが、私の結論です。

漫画のヒーローになりきった人たちに、お願いして何枚も写真を撮らせていただきましたが、みんなよい顔をしていたのが印象的でした。この日のために衣装を自分で制作したんだと言っていたお宅の顔が、妙に輝いていたのが印象的でした。こんな楽しみ方があるんだと大変勉強になりました。

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盆踊りのやぐらの周りにブースがあり、そこには、日本の企業の集まりの団体、日本の文化を伝える日本政府の外郭団体などがパンフを置いて陣取っていましたが、私どもは、朝から晩まで、直接スペイン人の身体を指圧をして、文化交流の日々を送っいています。このイベントも然りです。この辺の温度差は、いつでも土着の私たちと企業の命令でいる3年4年の腰掛サラリーマンとに生じます。

今回特に滑稽だったのは、日本のスペイン大使が、イベント会場に初日に来たのですが、この時間帯には、日本企業のトップが、うじゃじゃいたのに、大使も忙しいのでしょう、一時間ぐらいいて、お帰りになりました、そのとたんにあれだけいた、日本企業のおえら方も蜘蛛の子を散らす勢いで、帰還です。

この程度の輩が日本を背をっている意識だけはあるんだから大笑いです。地元で、コツコツと日本の文化を継承している人たちが、日の目を見ないとしたら寂しいことです。

政府の外郭団体がピンとはずれの日本文化を宣伝したり、歌舞伎(歌舞伎が悪いんではなく、もっと地に着いた日本の文化の普及)を呼んだり、思わず笑っちゃうフラメンコの日本の大先生を呼んだり、マー、ピント外れもいいことを、平気でやる輩が,任期満了して、いつの間にかいなくなりまた同じ輩が、赴任したりの繰り返し、こんな腰かけサラリーマンが多いことは嘆かわしいばかリで、はっきり言って恥でしょう。

スペインに興味がないけど会社の命令でなんとなくいますは、一向にかまいません。しかしこのスペインお宅のためのイベントが、なんでこんなに人気があるのかを、観察しなくちゃ、そしてもっと下からスペインの庶民の動きを観なくちゃ、ビジネスチャンスは、生まれてこないでしょうに。

昔の駐在員に比べると今の駐在員は小粒、これはまぎれもない事実です。スマフォ片手に、日本に目線を向けてばかりで、スペインに溶け込もうともしない、典型的な日本のサラリーマンが多く目立つことは、誠に寂しいことです。しかし爺が、嘆けば、ぐちになります。海外雄飛という熟語が死語になった今、ただただ寛容に笑い飛ばすしかないようです。

2022年9月13日
by 小野田
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一人で生きて、一人で逝く覚悟。

死亡確認後、一日たった次の日に施設から移動、告別式を待つためのメモリアルホールにて,納官の儀式が執り行なわれました。3人のうら若き係の人の一人が、進行役を務めて、あの映画のおくりびとのシーンそのものを披露するのを拝見させていただきました。3人の年若いお嬢様が仕切っていることに、この仕事も立派に日の目を見るようになったんだとちょっと感動した次第です。

山崎努ぐらいのおじさんが仕切るのであれば、想像通りなんですが、みんなスタッフが若い若い。お袋が世話になった施設のスタッフも若い若い、看護関係の仕事はきついきついの評判が先行することが頭に、ひらめき、よくやるなー、日本の若衆も捨てたもんじゃないぞと心情右翼のおじさんは、改めて感心したのでした。

うちの娘、インターンの時期に赤ちゃんは、いい臭いだけれど、おじいちゃん、おばあちゃんはちょっとねーと小児科を選択したんだと冗談にいったことが、ありましたが、確かに大人のうんこは、臭いよなーと正直思うのでした。

お袋さんの顔を剃り、お化粧をして、髪の毛を整えてもらい、ホー綺麗になったこと、顔に皺ひとつなく、晴れ晴れとした顔で、親父との再会を楽しむためにウキウキしているんだろうと思うとあっぱれ、そしてご苦労さんの一言を心からかけてやりました。納官の作業の最中、手の甲と足の甲がちらっと見えました。点滴と戦ったあとなんだけれど、内出血が、紫色から黒味がかった色に変わっていたのが妙に目に焼き付きました。

本当に御苦労さまの一言でした。お袋さー,大腿骨を骨折しても痛いと言わなかったんだぜ。あれってすごいよなーの兄貴の言葉が、そして最後の最後まで、お便所の用足しを自分でしようとして、がんばったあの根性は、やはり大正生まれの意気地なのでした。4人の子供をあの時期に育て上げた根性は、最後の最後まで勲章として胸にピカピカさせていたのは確かでした。

お袋さんのおじいちゃんが病院にいた時、私たちひ孫が、お見舞いに行く機会が、何回かありました。おじいちゃん、お便所だからもうお帰りといわれて、帰らされたのを今でも覚えています。数年たって、ひい孫にてめえの下の世話をおばあちゃんが、しているところを見せたくない明治の親父がそこにいたんだと気が付いたのは、随分と、歳日がたってからでした。

確かにあの頃の日本人は、顎が張って、ふにゃふにゃなんて奴は、少なく姿勢が良かったようです。そんな世代のお袋さんが、大往生したんだから、これは、逆にお祝いなんだと思います。100歳まであと2か月ということで、市役所もお祝いしてくれるということで、喜んでいたのにやはり100歳を生きるということは、奇跡なんだと思った次第です。

2日後に告別式、そして次の日が火葬ということで、4日間ほど、延長して日本でのけじめをつけようと思ったのですが、9月の一週目のフライトが、ほとんど満席、金に糸目をつけなければ、ゲットできるのでしょうが、常識的値段でのチケットをゲットできそうもないので、予定通り帰国とあいなりました。

49日が10月22日になったとの知らせが届きました。この辺は、工面して帰国しようかと思っています。

お袋さんを4人の兄弟がすべて健在で看取ったことに改めて,丈夫な体をくれたお袋さんと親父に改めて感謝の意を称します。

一週間の日本滞在でしたが、本当の友が、影日向の区別なく、自分の時間を割いて、私の行動を手助けして呉れたことを、感謝するとともに、疲れただろうと、わざわざ時間を割いて、丁寧な指圧の施術をしていただいた恩師に改めて感謝の意を称します。

感謝感謝と手を合わせ、残り少ない一期一会の機会を堪能しようと思って、改めて合掌。