2022年11月21日
by 小野田
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小樽そして帰路仙台

札幌は、夕方到着して次の日は、小樽ということで、札幌のタワーを見てお終いでした。姉貴の娘さんが、札幌に旦那の仕事の関係で、いるということで、とりあえず来たわけですが、その夫婦が、休みを取ってくれて、車で、小樽に連れて行っていただきました。小樽といえば、鶴岡まさよしと東京ロマンチカのあのイントロの有名な小樽の人よが、頭に浮かぶのですが、冗談で、この辺のボケを言ったら、笑いにもならなかったので、時代なんだなーと一人ため息で終わってしまいました。小樽といっても運河と倉庫しか思い浮かばないおじさん何んで、その辺で手を打って、倉庫の並ぶ運河沿いを散歩したのでした。月曜日だったにもかかわらず、結構の人人で、なんとなくのかっこはつく、小樽でした。

その夜は、この倉庫群の真ん中あたりに位置するかなり広い小樽政寿司という結構有名なお寿司屋さんに入りました。平日にもかかわらず、40分待たされたわけですが、あとで聞くとこれはこれで、ラッキーなんだそうで、普通なら2時間待ちは、普通とのことでした。私は、待ってまで、食う代物か派なのですが、接待も物腰が低く魚の新鮮さが、半端じゃないとド素人の私でさえも思った次第で、合格点のすし屋さんなのでした。

その日の泊りは、宏楽園(小樽朝里川温泉)という観想な、純旅館を従妹夫婦が予約してくれました。誠に静かな広い日本庭園のある旅館で、大満足の一日でした。温泉は、いいよなーの連発で大満足なのでした。ただ、今日本は、焼き肉の再ブームなのか至る所に焼き肉屋があり和牛和牛と騒いでいますが、大腸がん、特に前立腺がんが急増して、今更ながら食事の西洋化が、問題になっています。4人に一人の癌が、今では、2人に一人の割合に上昇しても、もうだれも驚かない世界になったことに少々戸惑いを感じるのは、私だけでしょうか。確かに焼き肉は、おいしいよなーの一言で、10年後の健康なんて誰も考えないのが普通なのかもしれません。飽食の時代の反省なしに,とくにヨーロッパの冬に問題が出るであろう燃料問題に注意が注がれている背景には、これからの世界が、ハッピィーな時代からますます遠ざかる予感を、誰もが持つ時代に突入していることは、誰もがみんな感じているわけです。

朝早くおきて、小樽から札幌に移動、10時半の特急北斗で、新函館まで移動、そこから新幹線で、仙台に直行、夕方仙台に到着、仙台の駅前のホテルに一泊しました。仙台は、なんと30年ぶりということで、楽しみだったのですが、駅前の変わりようには、驚きました。開発開発の波乗りが長年続いたようで、東京の渋谷、新宿の駅前開発と何ら変わらず、まったく、魅力のない仙台になりました。各都市の代表駅前には、それなりの顔をがあるのですが、仙台は、まったく魅力なしの都市になった感じがしました。妙に牛タン牛タンの素朴さを置き忘れた感じがしました。函館はもう一度の感じがしましたが、仙台は、もういいやの妙に田舎地方都市の背伸び開発の後遺症が感じられました。

そして次の日の昼には、新幹線で、大宮まで2時間、誠に持って日本人の風情の無い、次々次の慌ただしい旅が終了したのでした。ゆっくりが出来ない人の新幹線御利用の旅が終了したのでした。

2022年11月16日
by 小野田
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函館は五稜郭なのだの巻

東北地方の旅は、なんとなく後回しという感じで、こんな年になってしまいました。地元が大宮なので、行こうと思えば、新幹線を使って金沢、東北、そして、北海道まで、じゃんじゃん行けるのに、今回初めて大宮駅から新幹線で、北海道に行くことになりました。北海道(札幌)まで、JR東北新幹線を使用して7時間41分の旅ということでした。片道料金が26630円例えば、大宮駅を6時57分のJR東北新幹線に乗ると10時53分新函館北斗駅着、11時05分発北斗9号に乗って札幌着14時38分という長旅になるのでした。暇な身なので、もちろんこの電車旅でいいのですが、普通の出張ならば、飛行機で、朝一番の札幌行き、最終の羽田行きで、泊まらないで、商談を済ませての日帰り旅だよと、誰かが言っていましたが、急ぐ旅でもないので、こんなもんでしょうと納得したのでした。

とりあえず函館で、一泊ということで駅前のホテルに泊まったのでした。夕方到着だったので、ホテルでゆっくりと思ったのですが、チェックインしてバスで、五稜郭まで、フラフラといったのでした。五稜郭といえば、土方歳三のイメージが飛んでくる私なのですが、何故か学生の頃、関東のテレビですと、朝日テレビチャンネル10なのですが、燃えよ剣という新選組の副長土方歳三の生き様をテーマにした、司馬遼太郎作の小説のテレビ化の番組が、好きで毎週かじりつきで観た思い出があるのでした。

主演は、栗塚旭という渋い俳優が、踏ん張っていました。この作品で、この俳優は、土方歳三の役で一躍有名人になった俳優です。沖田役も,島田順二という、今では、3枚目役が多い俳優が演じたりして、新選組のイメージがまだ世間様に届いていない時でした。どちらが、正義で、どちらが悪という価値観ではなく、一百姓での日野の剣術家が時代の流れに逆こうして、自分の信念をただすために、最後は,函館で戦死するという土方歳三が、妙に私は好きなのでした。榎本武揚の生き様と新選組の生き残り土方歳三の生き様の違いがはっきりしていてこの辺も実に面白いのでした。

今は、目が疲れ気味のためか、あまり本を読まなくなりましたが、あの頃は、読書青年だったのかなーと思います。池波正太郎、城山三郎、五木ひろしの青年は荒野をめざす等を読み漁っては、俺は、何がしたいんだと自問自答した、青二才の若造が、一人いたのでした。

北島三郎の歌に函館の歌があったように思いますが、その程度の知識なのでした。次の日の朝、ホテルの近くの朝市に出かけましたが,一見の旅人には、この程度のお愛想的な感じの客の接待で、それで、いいんじゃないと妙に納得したのでした。

函館、札幌、小樽ぐらいしか行かなかったのですが、電車の案内に中国語が流れていたので、ここはゆくゆくは、中国人に占領されて華僑さんが、どんどん増えて中華街誕生もまんざら嘘でもない現実が、あるのかなーと思いました。

それにしても北海道というと議員さんの鈴木宗男さんをイメージしちゃうのですが、ソ連の味方でおしゃべりして、ウクライナの戦争で、ソ連を見方をする意見をこんな状況でもするのかなーとふと思う私なのでした。

こんな感じで、到着日の夜何とか横丁で、お酒をやらないので、もっぱらホッケとにしんの焼き物でご飯をたらふく食ってさすがに魚はうまいと実感したのでした。こんな時は、お酒なんでしょうが、ある時からお酒を飲むと体全体がむづかゆくなる、一見して肝機能低下を呈する状態になるので、お酒はなしなのでした。結構函館好きでしたよ。

次の朝、北斗で札幌まで4時間の旅なのでした。この函館札幌間、弁当、飲み物全てなしの我慢の4時間でした。車内販売をすると、赤なのかなーとふと思ったのでした。

2022年11月6日
by 小野田
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旅はいいよなー。

お袋の49日の出席のために日本に帰国しました。今回は、娘の真美子も同行ということで、日本についた際の書類の提出が、簡単かと思いましたが、案の定、1時間半かかって、到着口にやっと到達しました。実際、マドリッドからフランクフルトまでの機内の乗客、ほとんどの人がマスクなし、マスクをしている乗客は、日本人と幾人かのご年配のみ、機内のサービス係のアテンダントは申し訳程度のマスクを使っていました。その程度でOKなのでした。

しかしフランクフルトから羽田までの全日空は、乗客全員マスク着用、この差が如何ともしがたい現状です。外人が、インバウントで増加と盛んに滞在中、テレビのニュースで、吠えてましたがあれ嘘ですね。水際対策のめんどくささと日本国内のマスク着用の現実がある限り、外人のリピートは、まだまだと私は、見ています。日本以外、特にヨーロッパは、既にほとんどの人が、マスクなしでの生活に入りました。その点、日本は、長年の慣れもあってか、外では、ほとんどの人がいまだにマスクです。日本国内のマスク環境が、改善しない限り、観光での大幅な、増収はどうかなと思う私の目線は、正しいのか間違っているのかは、来年の春ぐらいにわかるんじゃないかな。

今回は、北海道に旅行しようという娘のリクエストもあり、マドリッドで、ジャパンレイルパスという外人のための国鉄使用のための割引券をゲットしました。娘は、スペイン国籍ですので自動的に購入、しかし日本人である私は、10年以上他国に滞在しているという証明書(在留証明書写し)をここの日本領事館からいただいて、今回は、HISの事務所に行きゲットしました。

取り敢えず一週間有効の割引券を買いました。日本円にして約3万円で購入しました。この券は、一週間の間、国鉄乗り放題のお宝券なのでした。今回4日間の北海道旅行でしたが、合計約7万円の新幹線及び諸々の費用が、この券で、約2倍のお得となりました。7日間フルの利用であれば、まったくもって大サービスの制度なのでした。その制度も、今年いっぱいで、無くなるとかの噂もありますので、使える権利のある人は、大いに利用すれがいいと思います。実際みどりの窓口の係員も、大変親切でしたし、東京函館間の新幹線も時間通りの運航で完璧なサービスも加わって、確かに外人は、喜ぶだろうと想像ができます。

新幹線の使用というと、とかく関西方面特に京都、奈良あたりを外人は、喜ぶようです。もちろん初めての日本旅行であれば、東京の広さを実感していただくために、はとバスルートを推薦します。東京を本当に堪能したければ、1週間は、必要です。その次に定番として、東京のホテルの一泊した後、早朝のバスに揺られて箱根まで直行です。箱根の半日旅行が終了すると、バスは三島まで行き、三島から新幹線に乗り、京都でおりて2,3日の京都、奈良旅行が始まります。高校の修学旅行よろしく、半分旅館、半分ホテルといった団体さんのホテルに紛れ込んで行けば、安い旅行が、楽しめるかもしれません。このプランが、初めての日本旅行の定番です。

2回目3回目になると、九州に足を延ばすかもしれません。ここで好き好き日本の外人は、次に行きたい場所は、東北、北海道となります。新潟、金沢も新幹線でいける時代になりました。外人だけではなく、私のような、日本旅行知らずの人間には、余生日本の旅を満悦するという死ぬ前の贅沢が残っているのでした。ぜひ実践したいものです。

スペインで例えると第1回目のスペイン旅行は、マドリッド、バルセロナ、時間があれば、南のグラナダ、コルドバ、マラガ、こんな場所が、定番です。第2回目の旅は、慣れたところで、北のバスク、サンタンデール、ビルバオといったグルメ通には、たまらない場所を選んで、旅をするのではないでしょうか。

次回は、北海道旅行のレポートを書きたいと思います。

2022年10月12日
by 小野田
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堀さんお疲れさまでした。

堀さんが、お亡くなりになったとのうわさが聞こえてきました。堀さんといわれても、どこの堀さんということなんだけれども、長くマドリッドにいる土着邦人は、アー、堀さんがお亡くなりになったと聞けば、フーンとある種、感慨深いため息を漏らす人もいると思います。

90年代の初め、ペセタもユーロに変わり長年のスペイン人の夢であったEU加盟で、はしゃぎ回るスペインの地を、つまらないスペインの始まりと思ったのかは、知りませんが、いつの間にか消え失せたのが、堀さんでした。あれから何十年たっても、この地で、歳をとっている地元邦人は、堀さん元気かなーと妙に懐かしがるのでした。あの頃は、まさにピレネー山脈を越えるとアフリカといわれて、もうそんな時代ではないと確信をもって言い切れない時代ではありましたが、妙に魅力のあるスペインだったことは確信をもって言い切れます。もちろんヨーロッパの一員何ですが、妙に田舎臭さが残っていて、パリとかアムステルダムとは確実に違った層のファンが、愛するスペインがありました。その辺の心地よさが、まだまだある、あの頃だったと思います。堀さんは、青山大学を出て,IBMに入社して、アメリカに研修に行き、それからは、きっとIBM はつまらないとちょっと働いて退職、なんとなくマドリッドにたどり着き、大方の時間は、麻雀をして、私たちを楽しませてくれたのでした。

本当に負けたことを見たことが、ありませんでした。まったくもって、負けてもまた堀さんとやりたいと思う鴨が大半で、私なども学生の頃、あのマージャンの魅力に取りつかれて、一か月分のアルバイト料を新宿の雀荘で、わずか30分たらずの醍醐味を味わった後、一瞬に消え去った給料袋の経験を何回も味わったにも関わらず、妙に狙い撃ちされて、撃沈されたり、まったくもって堀さんにはかないませんでした。でも後味が、さっぱりで、随分、堀さんに投資し続けたものです。

大方の人は、堀さんは、なんで食べているのかわかりませんでした。実家が岡山で、ダンスホールをやっていたと人ずてに聞きました。あの頃は、過去を問わないが、暗黙のおきて(マナー)だったので、マーそんな程度の記憶しかありません。

いろんなことがあったんだろうとは思います。例えば、EU加盟で、滞在の書類がだんだん増えたためにスペインが住ずらくなったためか、とにかくある日、突然堀さんは消えてしまいました。とにかく日本に帰国して、そして日本にも飽きたのか、それからインドネシアに長年住んで、地元の邦人、そして中国人相手に生活の糧を麻雀で、相変わらずという、情報は、もらっていたのでした。

死ぬまでに一度、堀さんと会いたいと思っていたのですが、実現できませんでした。

あの頃と今のスペインを比べるとまったくもって魅力が半減しました。スペインらしい孤島の頑固者のイメージが薄れ、世界の国際空港内のどこの店も有名ブランドといわれる同じメーカーの店が、独占して、魅力半減になっている現状がありますが、この現象と何か一致するところがあります。

もちろん、杖ついて、ベレー帽のおじいさんのイメージをスペインに持つ、私のほうが無理があるのかもしれません。またポルトガルのほうが、個性があるような気がしますが、50歩100歩かもしれません。

私などもそんな70年代のスペインが好きで、住みついたといっても、過言ではない過去があるだけに、良い時代のスペインをふと思い出すことが、あります。ただ爺になった証といえばそれまでですが、

新潟出身で、学生空手チャンピオンの斎藤さん。鍼師のお医者さんの外尾先生。首絞め強盗に会い、私の治療院に仕事を求めて、長年勤めていただいた京都の先生。みんなどうしているんでしょうか。まさに一期一会の時の流れです。

 

2022年9月27日
by 小野田
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スペインのお宅は、みんな優しいぞーの巻

9月に入るとめっきり涼しくなるマドリッド、朝方は本当に肌寒く感じます。もう一度、暑い日が、来るとの予想ですが、10月にちょっと暑い日が何日か続いてあとは、12月のクリスマスを待つのみとなります。すっかりマスクで出歩く人が減少して、マスク使用で街を闊歩する、輩はご老人か、東洋人ばかりとなりました。特に日本人は、必ずマスク症候群です。私などは、基礎疾患、特に心臓がウイークポイントなので、マスクは、必ず着用のおじさんなのでした。

この前の帰国の際、全日空は、機内のマスク着用は、常識といった空気でしたが、ベルギィーからマドリッドまでの乗り次便は、スペイン人の農協まがいの団体さんが大半を占め、どんちゃんどんちゃん、マスクなんか何それの、雰囲気で、日本人が何人かちらほらいましたが、皆下を向いて、早くつかないかとやきもきしながら、飛行機に搭乗していました。

こんな雰囲気が、ヨーロッパの状況ですが、知り合いの医者が言うには、ご年配の方は、重症化もあり得ます、そして後遺症も随分報告されていますので、できるなら罹患は、避けるに越したことがないとの、あきらめ半分のこそこそ話でした。

情報が乏しいのは、スペインだけではなく、ヨーロッパ全体の傾向で、やはり観光客頼りのヨーロッパの国々は、難しい立場なのかもしれません。

幸い当治療院、学校は、コビの罹患率が、めちゃめちゃ低く、各スタッフが、仕事場以外においても,注意を継続しているプロの集団なのだとの意識は、人一倍あるからか全員今の所セーフです。

3回目の予防接種が、継続実行されて、4回目の予防接種がお年寄りで施設での生活を余儀なくされている国民と医療関係者を対象に始まりました。もういいだろうと言って、4回目拒否の人もいるようですが、フランス人やドイツ人と異なり、意外とお上の言うことを信じる輩が多いのか、結構混乱もなく実行されているようです。

先週の土曜日と日曜日にジャパンウイークエンドDAYがIFFEMA(イフェマ)というマドリッドの郊外にある大催事場で、開催されました。つい先日オータンの会合が、開催されたところです。今まで、この催しは、漫画お宅の人達が、年に一回全スペインからお弁当を持って集まり、会場内を漫画のコスチュームで、闊歩してストレスを解消をする(おじさんはそう解釈しました。)催しと解釈していました。


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これに西班牙の日本人会が乗っかり3年コビのために開催できなかった、日本人会恒例の盆踊りを復活させイベントを盛り上げました。その周りにブースを創設してガラガラの盆踊り会場を少しは、化粧しようということで、当指圧學校が座位指圧で、観客を満足させようという、これも宣伝になればということで、乗っかり、旧生徒さんを集めて指圧ファンの観客を10分5ユーロで奉仕しました。

お宅の皆様も、肩凝りで悩んでいるようで、朝の10時から夕方の盆踊りが始まる夕方の5時まで2日間合計 200人弱を施術しました。指圧がここまで、知れ渡った道のりは、私が、指圧オタクであったこの一言で、衣装をまとって、会場内で、写真を撮ったり撮られたりして、楽しんでいる,ヒーローたちの姿の本性が、良く見えて、楽しめ楽しめのエールを、漫画お宅に送る自分がいたのを見たのでした。お宅の気持ちは、お宅じゃないとわからないが、私の結論です。

漫画のヒーローになりきった人たちに、お願いして何枚も写真を撮らせていただきましたが、みんなよい顔をしていたのが印象的でした。この日のために衣装を自分で制作したんだと言っていたお宅の顔が、妙に輝いていたのが印象的でした。こんな楽しみ方があるんだと大変勉強になりました。

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盆踊りのやぐらの周りにブースがあり、そこには、日本の企業の集まりの団体、日本の文化を伝える日本政府の外郭団体などがパンフを置いて陣取っていましたが、私どもは、朝から晩まで、直接スペイン人の身体を指圧をして、文化交流の日々を送っいています。このイベントも然りです。この辺の温度差は、いつでも土着の私たちと企業の命令でいる3年4年の腰掛サラリーマンとに生じます。

今回特に滑稽だったのは、日本のスペイン大使が、イベント会場に初日に来たのですが、この時間帯には、日本企業のトップが、うじゃじゃいたのに、大使も忙しいのでしょう、一時間ぐらいいて、お帰りになりました、そのとたんにあれだけいた、日本企業のおえら方も蜘蛛の子を散らす勢いで、帰還です。

この程度の輩が日本を背をっている意識だけはあるんだから大笑いです。地元で、コツコツと日本の文化を継承している人たちが、日の目を見ないとしたら寂しいことです。

政府の外郭団体がピンとはずれの日本文化を宣伝したり、歌舞伎(歌舞伎が悪いんではなく、もっと地に着いた日本の文化の普及)を呼んだり、思わず笑っちゃうフラメンコの日本の大先生を呼んだり、マー、ピント外れもいいことを、平気でやる輩が,任期満了して、いつの間にかいなくなりまた同じ輩が、赴任したりの繰り返し、こんな腰かけサラリーマンが多いことは嘆かわしいばかリで、はっきり言って恥でしょう。

スペインに興味がないけど会社の命令でなんとなくいますは、一向にかまいません。しかしこのスペインお宅のためのイベントが、なんでこんなに人気があるのかを、観察しなくちゃ、そしてもっと下からスペインの庶民の動きを観なくちゃ、ビジネスチャンスは、生まれてこないでしょうに。

昔の駐在員に比べると今の駐在員は小粒、これはまぎれもない事実です。スマフォ片手に、日本に目線を向けてばかりで、スペインに溶け込もうともしない、典型的な日本のサラリーマンが多く目立つことは、誠に寂しいことです。しかし爺が、嘆けば、ぐちになります。海外雄飛という熟語が死語になった今、ただただ寛容に笑い飛ばすしかないようです。

2022年9月13日
by 小野田
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一人で生きて、一人で逝く覚悟。

死亡確認後、一日たった次の日に施設から移動、告別式を待つためのメモリアルホールにて,納官の儀式が執り行なわれました。3人のうら若き係の人の一人が、進行役を務めて、あの映画のおくりびとのシーンそのものを披露するのを拝見させていただきました。3人の年若いお嬢様が仕切っていることに、この仕事も立派に日の目を見るようになったんだとちょっと感動した次第です。

山崎努ぐらいのおじさんが仕切るのであれば、想像通りなんですが、みんなスタッフが若い若い。お袋が世話になった施設のスタッフも若い若い、看護関係の仕事はきついきついの評判が先行することが頭に、ひらめき、よくやるなー、日本の若衆も捨てたもんじゃないぞと心情右翼のおじさんは、改めて感心したのでした。

うちの娘、インターンの時期に赤ちゃんは、いい臭いだけれど、おじいちゃん、おばあちゃんはちょっとねーと小児科を選択したんだと冗談にいったことが、ありましたが、確かに大人のうんこは、臭いよなーと正直思うのでした。

お袋さんの顔を剃り、お化粧をして、髪の毛を整えてもらい、ホー綺麗になったこと、顔に皺ひとつなく、晴れ晴れとした顔で、親父との再会を楽しむためにウキウキしているんだろうと思うとあっぱれ、そしてご苦労さんの一言を心からかけてやりました。納官の作業の最中、手の甲と足の甲がちらっと見えました。点滴と戦ったあとなんだけれど、内出血が、紫色から黒味がかった色に変わっていたのが妙に目に焼き付きました。

本当に御苦労さまの一言でした。お袋さー,大腿骨を骨折しても痛いと言わなかったんだぜ。あれってすごいよなーの兄貴の言葉が、そして最後の最後まで、お便所の用足しを自分でしようとして、がんばったあの根性は、やはり大正生まれの意気地なのでした。4人の子供をあの時期に育て上げた根性は、最後の最後まで勲章として胸にピカピカさせていたのは確かでした。

お袋さんのおじいちゃんが病院にいた時、私たちひ孫が、お見舞いに行く機会が、何回かありました。おじいちゃん、お便所だからもうお帰りといわれて、帰らされたのを今でも覚えています。数年たって、ひい孫にてめえの下の世話をおばあちゃんが、しているところを見せたくない明治の親父がそこにいたんだと気が付いたのは、随分と、歳日がたってからでした。

確かにあの頃の日本人は、顎が張って、ふにゃふにゃなんて奴は、少なく姿勢が良かったようです。そんな世代のお袋さんが、大往生したんだから、これは、逆にお祝いなんだと思います。100歳まであと2か月ということで、市役所もお祝いしてくれるということで、喜んでいたのにやはり100歳を生きるということは、奇跡なんだと思った次第です。

2日後に告別式、そして次の日が火葬ということで、4日間ほど、延長して日本でのけじめをつけようと思ったのですが、9月の一週目のフライトが、ほとんど満席、金に糸目をつけなければ、ゲットできるのでしょうが、常識的値段でのチケットをゲットできそうもないので、予定通り帰国とあいなりました。

49日が10月22日になったとの知らせが届きました。この辺は、工面して帰国しようかと思っています。

お袋さんを4人の兄弟がすべて健在で看取ったことに改めて,丈夫な体をくれたお袋さんと親父に改めて感謝の意を称します。

一週間の日本滞在でしたが、本当の友が、影日向の区別なく、自分の時間を割いて、私の行動を手助けして呉れたことを、感謝するとともに、疲れただろうと、わざわざ時間を割いて、丁寧な指圧の施術をしていただいた恩師に改めて感謝の意を称します。

感謝感謝と手を合わせ、残り少ない一期一会の機会を堪能しようと思って、改めて合掌。

2022年9月5日
by 小野田
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お疲れさまでした。

40年近くスペインにいても、帰国するとお袋は、いつ帰ってくるんだいとの言葉を繰り返していました。いつ帰っても、スペインは、あくまで旅先ということで、お袋が住む邪馬台国が、息子の住むところと考えているようでした。スペインにいるとあれが食いたいこれが食いたいと試行錯誤するんだけれども、いざ帰国して、カインズとかの豊富な品揃えのお店に行ってやっぱり日本と、有頂天になっても、またあれだけ食いたいと思った、にほん飯を食いに行っても、そのことに飽きるというのか、慣れてくるとやっぱりマドリッドに帰ろうと思うのは、なぜなんでしょう。私は、長いことスペインにいますが、スペイン人の友達がいるわけでもなし、スペイン語が堪能であるわけでもなく、それでも日本に一時帰国すると、やっぱり日本は、俺の住むところじゃないと、体の奥底からの回答が、帰ってくるのでした。スペイン人は嫌いだけど、スペインは大好きという輩が、結構いますが、私もその部類なのかもしれません。

そういえば、うちの親父とお袋、両方とも60歳を過ぎてから、4回程スペインに来てくれました。なれない飛行機の旅、今、自分もその年になって、飛行機を利用すると精神肉体、へとへとになることがわかり、親父お袋には、改めて感謝感謝なのでした。親父が逝ってずいぶん経ちますが、お袋は、99歳あと2か月で、100歳の誕生日を迎えることになり、10月の飛行機のチケットをゲットしようとした矢先の兄からの電話でした。

マドリッド、フランクフルトそして羽田なんと18時間の旅になりました。行きは満杯,日本の映画を4本鑑賞して、時間をつぶしました。無事到着、リムジンで大宮まで直行、丸一日の旅となりました。やはりソ連の上空を飛べないとなると、昔のアンカレッジ経由の走行時間と類似しますので、コビ、ウクライナの影響は、世界をめちゃくちゃにしていると肌で感じる次第でした。

実家に戻り熟睡次の日を迎えました。次の日は、お袋との面会ということで、少々興奮です。今まで頑なに拒否していた施設が、外国帰りの胡散臭いのが、面会するということをお許しになるということは、やはり事前の知らせが示すように死期が、目前に迫っているということなのでした。たった10分の無言の面会でしたが、足の指圧を、5分ほどして活を入れました。湧泉穴を圧しても、気を感じられなかったので、ゼイゼイという音を交えた呼吸もあと一日かなーと感じた次第でした。

結構末期の癌患者さんの指圧をいやというほど施術してきましたので、この辺の気の動きは、臨床指圧師として十分感じたのでした。胃瘻は、お袋がキッパリと拒否したので、点滴で、栄養を取るという約束なのですが、腕の静脈を探しきれなくなり、足のいたる所に青あざが、痛々しく存在していました.

お袋痛いの我慢して足部から点滴をされて、看護婦さんもつらかっただろうし、お袋も痛かっただろうと想像すると涙が出てきました。鍼灸を昔、博多の先生から教わった時期があり、臨床では、耳針ぐらいしかやりませんが、かなり勉強した時期がありましたので、足部の針の痛さは、今でも忘れられません。

栄養補給も限界一歩手前で、安らかにあの世に旅立ったのは、次の日の夜の19時45分でした。兄貴が、茂が来るのをお袋待ってたんだなーといわれて、お袋さんにお疲れさまと心の中で合掌したのでした。

穏やかな、優しい顔で、皺ひとつなく、まったくもって良い顔をしていました。まったくの大往生でした。やっと親父の所に旅だったのでした。親父も喜んでいるし、お袋も、もうよろしの心境だったんだろうと思います。合掌そして結手。

 

 

2022年9月2日
by 小野田
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帰国

お袋が危篤の情報が、日本より寄せられたので、早速飛行機の手配を始めました。この8月の終わりという時期は、ヨーロッパ在留の日本人家族が夏休みを利用して日本に帰国して、ジャーそろそろまた現地に戻ろうかといった輩が多いらしく結構いっぱいですよーとの、現地の日系の旅行代理店のボスに忠告を受けていたので、恐る恐る探し始めました。日航や全日空が日本に向けて出ているハブ空港めがけてマドリッドから出かけるのですが、たまたまフランクフルトから日本の全日空がゲットできたので、その飛行機のチケットをゲットとして約4年ぶりに日本帰国の手配が整いました。

娘も、おばあちゃんに会いたいということで、私と娘で弾丸緊急旅行の準備を始めました。うちの娘は、国家公務員という職業をこちらで選択したので、国籍をスペインに変更しているので、両親が日本人そしてその娘であるということにかかわらず、日本人あらずということで、青い目の外人さん同様の、査証が必要ということで、日本の領事館にメールを送ると、これが2日間たっても返事なし、しょうがないので、電話をすると、これも要領を得ないぼんくら返事。

マーこの辺が、天下のお役人がやる仕事の限界と私自身は、理解していますが、娘は、わかりません。娘も終いには、ざけんなよーの限界。この辺は、スペインの場合であれば、おばあちゃんが危篤とあれば、そりゃー理解しますわ。即座に査証を出すでしょうが、日本は、違います硬いのなんの。一言、上からの指示があれば、コロッと変わるんでしょうが。この辺は、融通の悪さというのか、ダメですねー。問題が起こらぬように、機転を発揮できないシステムなのでしょう。そりゃ現地採用の職員さん、余計なことで首にはなりたくないのが、本音ということで、しょうがないことです。

地元に何十年いて、この辺の感じは、十分掴める私でした。最終的に一刻を争うということで、私だけで、帰国したわけです。娘は、査証の獲得に何日かかかるということで、今回のおばあちゃんに合うための旅行はあきらめたのでした。

特に、旅行者には、領事館は、愛想がないですね。地元に何十年いる私でさえも、けんか腰になることがあるので、この辺の所は、まあ・まあ 役所のやることで、こんなもんでしょと割り切ればいいのでした。

キャリアのお役人だって、議員さんとか、肩書きの付いたお偉方が日本からくれば、そりゃー、態度が違うわなー。そんな野郎に限って、地元の人が、高くてまずいというレストランに誰が教えたのか、ご招待する輩なのでした。マーそんなことを言ったら、キリがありません。話を進めましょう。

フランクフルトから全日空で羽田まで13時間、疲れたの一言でした。どちらかというと私は、日本航空のほうに良い思い出があり、どちらかを選べと言われれば、全日空より日本航空を良しとするのでした。全日空のお姉ちゃんは無理して笑顔を作っている感じで、最もユニフォームの色が余計、貧弱感を作り出すのか、便秘と貧血の防止の薬をいつも常備しているようなイメージを沸かせるのでした。あの手の仕事をこなす人は、もっとふくよかでもいいような気がするのですが、もっともこれなどは個人的な感想なのでした。

降りてややこしい手続きが待っているのかと思ったのですが、確かに長い距離を歩かされましたが、多くのスタッフを雇い、親切な対応で、書類を書かされました。なれない年配者は、この時期の飛行機の使用は、ドキドキな出来ことを予想してストレスが溜まるので、もう少し我慢した方が良いのかもしれません。

帰国するとすぐにキオスコに行きオロナミン©を飲む習慣があり、今回もキオスコ直行、大村崑のオロナミンの時代はすでに終わったようで、そこのキオスコには、オロナミンはありませんでした。しょうがないので、カレーパンとリポビタンを購入、さて定期便バスを探し、お袋の待つ町、大宮に直行。無事にどうにか、到着の日本なのでした。

 

 

2022年8月12日
by 小野田
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Madrid夏2022

今年のスペインの夏は、熱中症でお亡くなりになる人が、何百人と出ておたおたしています。日射病と熱中症の違いが今一理解できない自分は、スペイン人に熱中症って、なんだと言われても説明に苦しむのでした。何年か前に、このむんむんとした夏を過ごしたことは、覚えています。

ただただこう何日も続くと地球の温暖差の影響かとか、何か凶の未来を想像しがちなのですが、朝方まで、寝返りを打って悶々とする毎日は。確かに異常なのでした。

今年の夏も、どこも出かけずにマドリッドでぼそぼそ毎日を送っているのですが、ふと治療所の電話に大変珍しい友人が電話してきたのでした。カルロスモリーナ先生で、日本で、スペイン語を習ったアカデミアカスティージャの校長兼オーナーのマドリレーニヨなのでした。今マドリッドに来ているので、お茶を飲みましょうという極々軽い調子のお誘いでした。スペインに来て2,3年ぐらいは、ちょくちょく連絡をしていたのですが、それから、私も、生きるのに目一杯の生活が何年も続きましたので、いつの間にか音信不通になっていたのでした。30年ぶりといった所です。

彼が、渋谷のスペイン語の学校を立ち上げたばっかりの時に、私のほうもスペインで、指圧で、一発といった昔ながらの言葉、海外雄飛を夢見ていた頃の一期一会物語があったのでした。

朝は、日本指圧専門学校、昼から巣鴨のとげぬき地蔵の指圧治療所で見習い、そして週二回の夜スペイン語の習得のために渋谷のカルロス先生のアカデミーに通っていたのでした。アカデミーの一期生が、私たち、スペイン語どうでもいいメンバーなのでした。確かにスペイン語は、大事なのですが、終わった後、クラスのメンバーとカルロス先生、いつも7,8人のメンバーで、近くの一杯飲み屋に行くのが楽しみなのでした。今はあるのか知りませんが、ヴィセンテSHEFUがオーナーのレストランCASTILLAなんかに金もないのに皆で行ったのを今でも覚えています。

スペイン人の先生が言うには、、マッサージというとスペイン人は、どうもちょっといかがわしい手技を想像するらしく、スペインではどうかなーと疑問視するのですが、カルロス先生だけは、今まで、スペインは、手技療法の歴史は、オイルマッサージか物理療法師ぐらいしかないけれども、これからは、スペインも伸びるだろうから指圧受けるかもしれないと私に言うのでした。カルロス先生は、日本にいながら、スペインは、いつかは、EUに加盟して、ピレネーを越えるとアフリカのイメージはなくなると思うと何度も授業で力説していたのでした。

メキシコかスペインを渡航先と決めていた自分は、カルロス先生の暗示にかなり影響されていたようです。あの時のクラスの同僚は、ほとんど今まで、会うことが、ありませんが,鮮明に青春の一ページとしてインプットされています。カルロス先生曰く、今は隠居してアカデミーは、顧問として直接教えていませんが、幾人かの昔のメンバーが、クラスに出席して、若いお兄ちゃん、お姉ちゃんと一緒に暇つぶしをしているということです。

一つは、スペイン語を教えてもらったことへの感謝とカルロス先生がスペインに行くのであれば、,visado especial をスペインの領事館に行って取った方がいいよという、的確なアドバイスを受けたことで、早速領事館に行ってパスポートにvisado especial という印をラッキーにも、ゲットしたのでした。いざスペインに来て、役所回りを始めました。感謝、感謝、スペインでの住居と労働の許可証をもらうにあたり、必須条件、だったのでした。感謝感謝の一言なのでした。金のない身で、日本に戻って、スペイン領事館に行ってVISADO ESPECIAL をもらって来いと言われたら、このスペイン物語は、実現できなかったろうと思われます。

スペイン領事館には、クラスメートが、働いていたということと、担当の秘書官が、すごく好意的であったということが、これまたラッキーだったようです。この秘書官は、スペインで、私の治療所の患者さんになる人だったのですが、今現在は、日本のスペイン大使館の大使がこの人です。カルロス先生は、外務省の外交官の卵にスペイン語を教える先生を長年した人です。17年間、今現在も天皇陛下にスペイン語を教えている先生でもあります。

偉い人になったようですが、俺にしてみれば、飲み仲間ですので、何ら変わりなしで付き合っています。

生きていると色色あるんだと実感した、2022夏マドリッドなのでした。

2022年7月28日
by 小野田
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スペインは、熱いぞー

 日本は、再びコビ(武漢ウイルス)が猛威を振るっているようです。東京都でも毎日1万5,6千人感染と報道されています。ここスペインでは、マスクの着用が、屋外ではほとんど見かけなくなりました。ただこの頃は、ほとんど報道されていませんが、医者、看護婦などの医療関係者の感染が報道機関を騒がしています。もう過去の話のようにニュースバリューもないのかもしれません。それでも、イギリスの神風対策は、さておいて、夏以降のコビの感染上昇率は、観光立国スペインの宿命とみた方がいいようです。夏以降学校が始まったころが、見所です。

コビのニュースが少なくなった一方、老人ホームや特に中年以降の人達が集まるであろう場所は、要警戒ということで、決してコビが終了したわけではないことが、たまのニュースから見て歴然としていることは確かです。

つい先日、ニュースで、お馬鹿さん特派員が、さすがに中年以降の人達の歩行が見られません。基礎疾患を持った人やご老人は、ご注意が必要と思われます。と本音を吐いていましたが、経済を回すと称して要は、お年を召された人は、重症化傾向がありますので、外出を控えてくださいか、外出をするな。爺婆は、プラン75だぞと、無言ながら申しているわけです。もっと辛らつにいえば、爺さんは、風邪をこじらせれば,重症化して、運が悪いと死んじゃうように、コビだって下手すると死んじゃうよ、特にご老人は、注意してくださいと無言で、圧力をかけているわけです。

あやふやな態度を示して、責任逃れをしているのが、ほとんどのヨーロッパの国の厚生省なのです。その辺の本音を解釈して行動しろということです。要は、何にも変わっていないということです。かといって中国のようにやったらこれも問題な訳です。

家の学校のほうのスタッフが感染して5,6日休んでは復帰という、完ぺきに風邪扱いをしていますが、結構、私たちのスタッフもコビ感染、そして復帰後の物忘れ度、倦怠感、脱毛、下痢と便秘の繰り返し、結構な後遺症が出ているようです。

若さゆえの行為で簡単にコビになっていますが、後遺症は、薬じゃ治らないことは、当たり前のことで、当クリニックに患者さんが流れているという実態は、確かなので、この辺を利用して、生き延びているのが、指圧界の現状です。うちのクリニック、この夏の時期は、非常に暇なんですが、電話で拾う患者が多いので助かっています。

実際夏バテの時の指圧は、確かに効きます。体がシャンとします。ここのスペイン人、本来体が強いのか、平べったいサンダルで、肩を出して、その上、日に焼けたい症候群の塊で、そして冷たいものをバンバン飲んで、睡眠不足、老けが速いのも確かに理由があるんだと今更ながら納得するのででした。

顔の彫りが深い分、美しいのですが、カサカサの気候が、簡単に顔の水分を削除してしわくちゃの砂漠的な顔にするのでした。確かに老けが速いのは、ケアー不足の習慣も手伝ってか、確かなようです。注射で、ボトックスを施術する、スペインのお金持ちが多いのも確かなようです。植毛と並んで、この時期に整形をお望みのヨーロッパ人の姿が、イスタンブールに多いのも確かです。お腹の脂肪を吸引して、スマートになっても2,3年すると昔の倍になったお腹を、気にする患者さん。手術は簡単だけど、そのあとの維持にお金と時間を費やする人が少ないのは、日本や韓国と同じです。

夏の終わりは、イギリスに堕胎ツアーといったことが、昔、スペインでブームになりましたが、この頃はどうしたことでしょうか。夏のやけどは、後々まで、人生のトラウマになることを知っていれば、良かったのにね―的なおなごが多いのも確かです。

夏の終わり、キリギリスは、いつもいるわけで、特に今年の9月、遊び疲れて税金払えずに、倒産のパターンを、危惧する専門家がいますが、これは確実に増えるでしょう。

問題が山積みしているヨーロッパです。この12月までの生き地獄、どう耐えるかが、今のところの課題です。

確かにこのパターンは。かならず起こると踏んだ私です。今どう切り抜けるかを思案しています。胸騒ぎです。来年の春まで、もちこたえれば、勝算があるんですが、どうなることやら。

ただただ勘で動く私です。ナビゲーターは、どうも嫌いです。40年持ちこたえたので、今回も勝利の女神をゲットします。ただ勝算は、あっても時の運は、気まぐれです。久しぶりの切り抜け勝負です。誰がジョウカーを引くのか。ちょっと久しぶりに興奮気味のおじさんがここにいます。