体力の落ち込みの自覚(晩秋の人生の生き方実践編)

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久しぶりにソフトボール大会で汗を流しました。秋と夏の2回 有志が集まり、市営の球場を借りて熱戦をひろげます。90年代のバブル時には、16チームが集合して5月6月の週末に予選会を開き、終わった後の、ああでもないこうでもないの、おっさん達の馬鹿っぷりを懐かしく思い出します
 今では、たったの5チームの落ち目の三度笠的大会です。それも2チームがスペイン人のチームですので、お寒い限りの現状です。私はイチというチームのオーナーです。昨年長年このリーグをもり立てていた、仲の良かった地元チームが解散しましたので、地元では私のチームだけになりました。
 後は大使館チーム、三菱チームといった縦社会のチームですので,地元有志のチームは貴重な存在なのです。メンバーは、まったくの自由人で、ソフトの大会が年2回ほどありますので大体のメンバーとは年2回この大会で会うだけの人がほとんどです。ほとんどのメンバーの職業は大体は把握していますが、まったくお互いの干渉に興味がないので、ソフトを一日楽しんで、後はバイバイまた秋ねー。また春ねーが大半です。ソフトをやって、持ち寄りのお弁当を食べて、ビール飲んで、お互いの現状を忘れる一日、男の休日、こんなもんでしょ。まったくもってさびしいの一言です。外国に来てまで、群れるやつの気がしれないの人生なのです。

毎年毎年、球が飛ばなくなるのを自覚します。自分では一生懸命全力疾走で走っているのですが、他人は,ドンクサ的感じで見ているみたいです。三振してもエラーしても、悔しくなくなっているんです。最後は年のせいにすればすべて解決的根性が芽生えてきたのはいつからでしょうか。悔しいけどこれが今の現実です。毎年のソフトボール大会の参加は、自分の不甲斐なさ℃の確認で私の生きる証の刺激剤なのです。。落ち込みますねー。しかし3日で忘れる性格ですので、それがいいのか悪いのかはいまだもって解釈していませんが。確かに今日は、ヒットなし、エラーいち。足はつるし、確かにいいことなしでした。
 超一流選手が引退を決めるときは、0,001のダッシュの遅れ、微妙な体のキレの違和感、妥協感の急増、何か感じるのでしょうね。その感じ方がまたプライドの高さと比例してすごく残酷に突き刺さるのでしょうね。頂上に上り詰めた人が落ちてゆく姿は、覚悟した人たちとはいえ、きつくのしかかるのでしょうね。確かに私たち凡人には理解できないゾーンかもしれません。
要は年をとることにより、世代交代を知る、俺たちの時代は終わったのだと悟る。そして一歩引く精神を自覚すると言うことなのです。たかがソフトボールの試合で人生を悟る私はすごいのかもしれないなんてゆう夢を、涎をたれてソファーでみてたら、来月は、重い税金が来る現実を思い出し、目覚めてしまった不甲斐ない自分。そしてなんだこの体の痛さは、年寄りの筋肉痛は、忘れたころに押し寄せる現実を味わう自分。何や間やで妙に自虐的に、落ち込んでいる私でした。

2 Comments

  1. 小野田先生、お疲れ様です。
    いよいよ、「木下塾」を始めます。

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