出来るやつほど

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マドリッドに居を構え30年、指圧の治療所とアカデミーを何とかやってしのいでいます。凌ぐという言葉は、綱渡りのようにバランス棒を持ってバランスを取ながら一歩一歩前に進んでいるということで、何かあれば、例えば事故にあうとか、病気になるとか、運が悪いと真っ逆さまに落ちて再起不能が待っているということです。ただこの私の環境の強いところは、ゼロからスタート(何もない所から始めた)したので、例えゼロになっても、プラスマイナスゼロ。この辺に落ち着くというさっぱり感(開き直り)がありますので、人様が考えるほど、自分の最悪の事態を怖がっていないということです。

 また体さえ、元気であれば、指圧治療で生きていけるという手に職の強みもこの条件の一つに入るかもしれません。また適正の仕事を24歳で見つけることができたということも今考えるとラッキーだったのかもしれません。座右の銘に漫画家の水木しげる先生のしないでいられないことをし続けなさい。というなかなかウンチクのある訓をぶつぶつ壁にぶつかるととなえていますが、好きな仕事を見つけることができたということが、ラッキー中のラッキーだったんだと思います。
 今は私も、還暦を迎える年になりましたが、昔は私のそばに、年配の人がいっぱいいて、遠慮なく生意気な私を、どやしつけてくれたことが、今考えると、ずいぶんプラスになっていると実感しています。叱り方のうまい年配者が、屁のツッパリにもならないプライドを逆立てることもなく、始終どやしつけてくれた結果、最終的に聞く力を養えたのが良かったのかなーとも思っています。
 今は教える立場にいますが、結論から言うと素直に聞く力を持っている人は必ず伸びます。しかしすぐに反対のことを言ったり、ジャーこれはと、くだらん質問をぶつけてくるような奴は、伸びませんねー。教える立場の人も、こんな奴には教えたくないという潜在意識が芽生えてくるものなのです。
 3年間の教育で、どこまでその学問を吸収するかは、生徒次第ですが、その3年間が終わった時点で、ぷっつり関係が途絶える生徒、何となく指圧を通じてちょくちょく言葉を交わす指圧仲間ETC. いろりろな関係が出来ます。弟子と先生、そして先生と先生、友達、これは一期一会の妙で世界がどんどん広がって行きます。ただ無理のない自然な関係がベストで無理があるといつかは消滅します。年一回のクリスマスカードの交換、年一回のレストランでの夕飯、何しろ無理のない関係が長続きします。この平凡な日常の繰り返しが、単調且つ滑らかに過ぎてゆくことが実は、平凡の中の非凡で、これが、プロが行きつく継続の道につながるわけです。いろいろあった試練の道を何もなかったように平平,凡凡と生きてゆくここが難しいのであってこの辺まで来ると、悟っちゃって、ふにゃふにゃのただのおっさんに見えるやつほど本当の侍だったりして。
 ジャー正真正銘のふにゃふにゃの俺は、実は、実は、ただのすけべオヤジなのだー。

4 Comments

  1. 小野田先生、「口から+(プラス)の事を言っていると、叶う」らしいです。(口 プラス+ = 叶)

    いっぽ一歩、歩いて行きましょう。

    歩くと云う事は、「少し止まる」と云う事らしいです。(止 + 少 = 歩)

    暑さ厳しい折、ご自愛下さい。           木下誠

  2. 最近の若者に叱りつける先輩などいなくなりました
    気の毒ですね

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