実習農場までの道のりはもうとっくに忘れちゃっているけど、ファームの一日目の歓迎会でファーム長の大将が開口一番、無理をしないでくださいの一言が妙に印象に残っています。無理をしなかったらどうなるか、また無理をしたらどうなるか、この言葉意味深なんです。
長の奥様が、歓迎会と言うことで、カレーをふるまってくれました。カレーはごちそうなのです。カレーの中の具として豚肉が仰山入っていたんですが、その豚肉,角切りで目立つ存在なんですが、所どころに毛があるんです。(この夕食のために命を絶たれた尊い食材なのです。尊い蛋白源なのです。)取り忘れたんでしょうが、ごちそうと言うことで、ほら食べろと山盛りでくれるんです。元々豚はどうもの口で、その上、脂肪と毛があるお肉です。残したら失礼と、なぜか教育されている私です。すべて呑み込みました。呑み込むたびに涙が出てきて、一日目からカウンターを浴びせられて、あの大嫌いなラッキョウよりいいわと一人納得したのでした。
食材の油として一般の家庭はヤシの実の油を当時使用していたと思います。その油は、温かいうちはいいのですが,冷めると雑巾が腐ったようなかすかな臭いがするのです。目玉焼きを御馳走になってもちょっと冷める匂うのでした。何でもかんでも中国製の醤油があれば当時はokの自分でした。何年後かに、セブ島に旅行したとき、この油の料理はもう食べられなかったので、人間は環境に応じてどうにでも変われるのだと実感しました。
実習中は、何でも食べましたね。クッキングバナナは、おやつとして食べたし、ナマズは近所の池で捕まえては、かば焼きにして醤油に砂糖を加えた、たれで、ドリアンは、週一回の休みに村に出て市場で買っては、臭い、臭いを連発しながら、でもこの臭さがたまらなく食べまくりました。スペインの植民地時代の面影か、後で考えるとスペイン料理と似たようなものが沢山あったような気がします。豚の血で煮た野菜料理あれはなんだったのだろう。
食った食った。でもファーマーの食事は質素でした。食べたのは、もっぱら休日に村に出た時に、ビールのサンミゲルで流し込んだのを覚えています。食べるだけが楽しみの実習でした。朝の6時に起床、夜は9時にはもう布団でグッスリの毎日でした。
後で気が付いたのですが、休みにファーマーの農夫が、自分の家に招待してくれたことがたびたびありました。その度に飯を招待してくれたのですが、結構いい飯を食っているんです。食はいいんだなと納得したのですが、後で奥様が話すには、普段は超質素で、豆、豆の毎日よ、と教えてくれたので、だんだん招待を遠慮するようになり、逆に休日に村に農夫たちと一緒に行き、村一番のレストランに直行、サンミゲルというビールで乾杯して俺の御馳走だからとバンバンに有頂天になって喜んでいました。私は、、安い安いを連発するおのぼりさんでした。
そんな週末が何回か続いた時に、奥様に呼ばれてガツンとくぎを刺されました。あなたは、いつかは帰る身です。でもうちの農夫は、この生活が一生続くのです。贅沢を覚えさせてはいけません。この言葉の意味を理解するのにちょっと時間がかかりました。でもその通りと納得、深く反省です。安い安いの感覚で、有頂天になっていた自分の世間知らずにまたまたのカウンターパンチです。
一日の農夫の日給は何と日本円にして当時の300円と聞いたとき、いち旅人の立場を理解した自分なのでした。