高倉健は永遠に不滅です。

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ああそうなんだ、と一人合点したのは。あの人も人間なんだ、死はだれにでも平等に訪れてくるんだという単純な疑問への合点でした。
 特に俳優の高倉健さんは永遠に生き続けるんだと思っていました。日本に電話しては高倉健のDVDを頼んでは、送ってもらって、寝静まった居間で一人鑑賞をするのが楽しみな、ちょっとオタクぽい一面があるおじさんのガッテンなのでした。

学生の頃、なぜか甲府に行く機会がしばしばあり、土曜日の新宿のこ汚い映画館でのオールナイトのやくざ映画を見て朝早くの新宿発の電車を利用したのでした。実家に帰れば、温かいお布団でおねんね出来るのですが、なぜかオールナイトなんです。あのころから既に私は、家に帰りたくない症候群が始まっていたのかもしれません。大蔵の天然色半分のポルノでも何でもよかったのですが、どういうわけか昭和残侠伝だったのは何故なんでしょう。
 別に真剣に鑑賞してるやつなんて誰もいないんですが、今の若者が居酒屋でサッカー観戦、俺は一人じゃないんだの、あの似非連帯感の、あの感じだったのかもしれません。特に脇役の個性の塊が大好きで、成田三樹夫、田中邦夫、小林捻侍、白馬童子の山城新伍、もう、うじゅうじゃしていましたね。滝田秀治が出てきてやくざの健さんにいつまでやくざをやっているんだ。おふくろが泣いているぞ。みたいな会話をしてあの独特の健さんの顔がアップで移り、すいませんの顔をしつつ、義理と人情をおもりにかけりゃ義理が重たい男の世界のシナリオがどんどん進むのでした。
 居酒屋兆治のちあきなおみ、妙にわざとらしい演技の伊丹十三、でもよかったです。夜叉で一瞬映った健さんの手の甲にいっぱいシミがあったのを見て、手の甲は整形できないと聞いたのは嘘じゃなかったんだと思ったこと。そして健さんの歳はいくつなんだと一瞬思ったりしたこと。
 また夜叉に出てくる、たけしさんの演技と最後の健さんの映画に出演していた、たけしさんの演技と比較すると滅茶苦茶の格差があり、ビート武の役者としての何気ない自然な演技の向上が目立ちました。いしだあゆみ、田中裕子の共演が多かったけどあんな感じいいなー。なんて、みんなとじゃなく、嫁さんとでもなく、友達とでもなく、寝静まった居間で一人で観るのが健さんの映画なのです。
リスボンのあの町の、あの坂道電車、名前を忘れましたがあのコートの宣伝、ヤキツイいています。何やかやで、私は健さんの隠れファンなのでした。
 先生、今年は寡黙で行きましょうと言ってくれた重さん。今年は先生大殺界です。あと少しの辛抱です、と言ってくれたともちゃん。今年は最悪だったぞー。来年もケンさんみたく耐えるのか、それともラッキーが舞い込むか。サーあー、サーあー、明日はどっちだー。

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