指圧との一期一会

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 大学の仲間に正月の暇を利用して久しぶりにそして何気なく連絡を取りました。私の腰掛け的な大學での所属学科は醸造学科といって酒蔵の未来の若旦那や地方の醤油製造会社の息子だったりで、クラスメートはどちらかというと貧乏たらしいのがいなくておっとりとした地方の坊ちゃんタイプが多かったように思います。ゆくゆくは、自分の親父の会社を継ぐような奴が大半で、4年間を東京で暮らし充分心置きなく青春を謳歌しようという、妙にさらさらした奴も多く苦学生は皆無のクラスで、何かボーとしていて妙に居心地が良かった気がします。特に仲の良かったクラスメートの大半は今では会社の存続をかけて働いた時代を終えて息子の時代にバトンタッチして一見安泰の初老のおじさんになっているようです。

あの時代の私と言えば,発酵学に興味があるというよりは、そのころから海外雄飛を夢見る世間しらずのお馬鹿さんでしたので、外国に技術として持っていけるものは何かと探していただけなので、ジャパニーズ 酒、味噌、醤油、納豆、このへんに何かないかとただただ入学したもので、3年になると熱帯農業のサークルに近づいたり、海外農業研修はどこどこの関係で参加できるかとバイトの合間をぬいながら情報収集のために動き回っていた日々を思い出します。
 結論として3年の時のフィリピンの熱帯農業の研修後、雨水の飲料水が原因か、それとも何かの寄生虫が原因かはいまだ持って未解決なのですが、日本に帰国後、腎臓機能及び肝臓に支障をきたし(医者の診断)腰痛、倦怠感、衰弱の症候が顕著にみられ血尿まで出るようになり、普段の頑張る茂がまったく消え失せ、そのために病院通いを2年も続けたのでした。
 一日中腰部にべったりとした重ぐるしさがあり何をやるにも精神面のタフさが消え失せて最悪の時期だった気がします。こんな症状を長い間ひきずることで海外雄飛における農業関係の選択が消えたことをはっきり自覚しました。それじゃー何があると、悩みに悩み、ただただバイトをすることで少しは現実逃避を可能にしようと腰痛に苦しみながらもバイトに精をだした日々がこのころです。
 学生生活最後の4年になりお座なりの卒論も書き、就職も10月には決めて(親を満足させるため)、かといってやりたいことも探せずにだらしないの一言の最終年度の学生さんでした。
 3月の会社の最初の研修に出席し、これは俺が、俺のエネルギーを消耗して満足する仕事じゃないとの誠に生意気な世間知らずの結論に達して研修はどうにか遂行しましたが、あっさりと辞表を提出したのでした。研修課長があわてたことあわてたこと、何も説明できないままひたすら謝りさようならです。
 そんなことでサラリーマンを一か月で辞め、後は一生自営の茂で今までやっているわけであります。
 卒業して悶々の日々、バイトで若干の蓄えがありましたので、それじゃーとりあえず、外国に行き私の将来を考えようとスペイン語を選択していたこともありスペインに飛んだのでした。結局のところバルセロナというスペイン2番目の都市に1年半暮らすことになるのでした。今考えると甘ちゃんの現実逃避そのものだったのかもしれません。でもその1年半は、誠に有意義なそして超贅沢な月日だったと思います。
 ここで、一冊のスペイン語に訳された指圧の本(浪越徳治朗著)をバルセロナのデパートで何気なく買ってスペイン語の勉強がてら辞書片手に読み始めるのでした。これが指圧界との接触の第一歩です。

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