親父とお袋さんは,ともに尊厳死希望の署名をしています。要は余計な延命の治療はしてくれるなということです。お袋さんは、95歳なんだけど妙に元気で、一人で朝飯は作って食べるはで,本当に頑張っています。本人は、御迎えが来るまでは、自然体で生きてるわけで他人が考えるほど、丈夫だとか,秘訣はなんて聞かれても本人は、ただただ一日を平常心で生きてるんだと思います。
耳が少々聞きずらくなった以外は、頭もしっかりしているし、会社四季報なんかを見ては、うなずいているので、お医者さんも、胃腸はOK,でも風邪と骨折だけは気を付けてくださいが、診断で、いたって楽観人生のお袋さんなのでした。
運命とは、人それぞれに降りかかって来るもので、その運命を全うしてお迎えが来たら喜んで逝けばいいという感じで生きるのが一番いいのかもしれません。きっと自分は、おたおたの最後だと思いうけど。
日本に帰ると必ず寄って未来を見てもらう人がいます。この頃、まったくご無沙汰なんですが、昨年の帰国時は、迷った末に立ち寄ってお茶をしました。昔は、まったくもって綺麗な、若お姉さんだったんですけど、誰もが年を取るという冷酷な定めには勝てないようです。それでも、時間をかけた、執念の化粧は、誠にマジックで、バーのラウンジならまだまだ、錯覚させます、おばさんなのでした。この頃は、久しぶりにお会いしても、ここまで生きてきたんだから今更未来を見てもという意見が一致して、ただただお茶のみ友達なのでした。
ただ、この未来を見る先生、いい客がついてるのですが、本業がエステのプロということで、お金には、う頓着なんです、そしてバイブレーションが合わない輩には全くつっけんどんでハラハラおばさんなのでした。
10年ぐらい前までは、帰国するたびに未来を見てもらいました。結構、勇気をもらったり、脅されたり、正直彼女の言う通りに決断して難を逃れたり、結構指南役として助けてもっらった記憶があります。彼女に言われたことで、妙にインパクトがあるのが、75歳かな逝くときは、病院ね。妙にきっぱり言われたのを覚えています。あの頃は、40代人生真っ盛り、何を言われても、まだまだ75歳までには時間があるなーと妙に余裕でしたが、この年になるといつ死んでも、まだ若かったのにと言われつつも、そこまで生きたんだからまあまあねと言われそうです。かと言って、急に体を酷使しすぎたと言って休んでみても、人生あまり変わらないと思うのですがいかがなものでしょうか。性格は、正直なもんで、突き進んで、やっぱりねーとうなずいて、はいさようならの宿命なのかもしれません。
親父は、病院で逝ったのですが、やばいということで、ある年の8月に帰国、最後ということで、何日か親父のベットの下に設けた簡易ベッドで寝たことがあります。ひっきりなしに看護婦さんが巡回しているのを見されて何の商売もきついんだなーと妙に感心したのを覚えています。
8月は、何とか頑張ってタイムリミットで、スペインに戻りました。9月にお父さんが調子が良くなってリハビリを始めるんだと言っているよとお袋さんから電話をもらいました。お袋の喜んだこと喜んだこと、パートナーとして何十年も連れ添った影武者です。夫婦とはこういうものなんだと妙に感心したのを覚えています。
元気になったのかと、単純に喜んだ、途端の10月に急変して旅立ちました。10日前に胃瘻を始めた矢先でした。さすが親父と語り草になったのは,その胃瘻の装置を自力で取り外した後に、あの世に旅立ったそうです。無意識に最後の踏ん張りをもって胃瘻の装置を取り外して、あの世に行った親父、さすが親父とうなずき黙とうをささげたあの日を、私は自分の最後の日まで忘れないつもりです。親父は黙って背中で語るそのものの、あの時でした。
断捨離を始めては、みたものの捨てきれない自分の情けなさに、もうがっかり。