ミスター指圧逝くパート2

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合掌

ポリドリ先生の悲報は、早急に届きました。早急に届いたのはいいのですがイタリアのミランあたりでコロナウイルスが、暴れだしたという情報をトリノ(ミランのそばの街)の生徒からもらっていたので、内心は、ドキッとしたのは事実ですが、イタリアにちょっと行ってくるというと娘も、嫁さんも冗談でしょと言われそうなので、このことは、伝えず、息子の一生と土曜日にお葬式ということで、金曜日の夕方、マドリッドを出発、2時間半の飛行を満悦のつもりが、斜め後ろのイタリア人の老夫婦の相方が,ゴホン,ゴホンの連続、その上、マスクまでしています。今回は、広い空間を求めてビジネスに搭乗したまでは、良いアイデアだったのですが、周り中、イタリアの老カップルだらけ、その上,せきを連発されちゃ叶いません。まったくひやひやものでした。

到着するといつものローマなら、めちゃめちゃの人込みです。しかし今回はガランガラン、歩いているのはマスクをしたアジア系の顔立ちの旅行者ばっかしでした。これがミランの飛行場なら本当にガランガラン何だろうと思いました。地元の人は,町を歩いていてもマスクの人は、まだまだ少なかった気がします。

お亡くなりになったのが、火曜の夜ということで、マドリッドならば、早急に次の日、お葬式で2日後には、焼かれておしまいというパターンですので、どうなんだろうと考えていましたが、翌日の朝、大学病院に連れていかれました。そこで、最後のお別れができるということで、メンバーと一緒に行きました。確かに大学病院の片隅に遺体安置所がありました。朝の8時から10時までという2時間、この短い時間が、最後のお別れということでした。身内だけここにきて、お別れということで、大体の人は,教会のミサで最後のお別れということでした。教会にお棺ごと運ばれて、牧師さんのお話を聞いて、ポリドリ先生のお棺は、墓場に運ばれてそこで、永眠するということでした。

ポリドリ先生のお顔を拝見いたしましたが、きれいでした。ただ先生背丈が大きいので、頭が、足元が窮屈そうで、少し大きめの棺桶があればと思いましたが、すがすがしい顔で、首も包帯で巻かれて満足そうで、改めて大きな手を垣間見て、首にできた腫瘍で散々痛かったんだろうから、これで痛みから解放されて、喜ぶという言葉は失礼ですが、なんか本当にお顔が、弛んでいて私は、改めてご苦労さんと胸の奥で、独唱しました。上等、上等、この言葉も失礼ですが、もうゆっくりお休みください。私の本音だったかもしれません。

亡くなる前日、のどの声帯を取る手術をして、普通なら、病院で、状態観察のために入院と思っていたのが、帰宅命令が出されたそうです。病院が言うのならしょうがないということで、車で帰宅ということになりました。車を走らせて、ほどなくして、ポリドリ先生が、何か肩に熱いものを感じると言い出したそうです。車中の電気をオンするとどくどくと血が噴き出していたそうです。これに驚いた付き添いのアマデウ先生が、病院に引き返し、緊急入院したけど、時すでに遅しで、出血多量でお亡くなりになったということです。

癌の腫物を取るために他をいじくり、体の気を参らせて実は他の病名をつけられて死ぬパターンが、よくありますが、ポリドリ先生も、この手の西洋医学で、寿命をちじめた一人かもしれません。ただ首近辺の腫物は、医者を信頼するしかなかったと思います。我々は、患者のわがままを、知ってますので逆に医者にかかると体を預けて医者の言葉を信じるという石頭が多いのも事実です。

でももうこの辺で、ゆっくりさせてあげたいという、ポリドリ先生の側近は、思ってたんだと思います。教会には、250人ぐらい集まったと思います。全ての人が、ポリドリ先生をたたえる顔をしていました。お義理できた人は、いません。ただただ、ポリドリ先生にお別れをしに来た人たちが集まりでした。ピリピリした気が教会中に飛んでいました。わざわざリスボンから駆け付けたロジェリー先生は、すべての用事をキャンセルして駆けつけてくれました。他の国のインストラクターもちらほら見られました。

来てよかった、今を生きるという言葉が、妙にしんみり感じるローマの小さな教会のミサでした。

ポリドリ先生ゆっくり天国で、お過ごしください。でも暇になって、間違っても,下界におり私の家の近辺をフラフラしないでください。。私は、まだまだこの世に未練のある小心者です。這いつくばってでもまだまだ生きたい指圧バカですから。

ヨーロッパ指圧浪越代表小野田茂                                         結手

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