8月のヨーロッパは、一か月の休暇をロックダウンで、倍の2か月を消化したにもかかわらず、国民の権利と義務により都会を脱出して、海に言ったり、山に行ったり、夏は、当然チンで休む習慣が、体に染みついているのでした。昔は、一か月丸々休む国民でしたが、この頃は、2週間を夏、後の2週間を冬にといった輩が増えて、マドリッドも8月は、ガラガラといったワンパターンはなくなりました。私ども、日本人は、4日間の休暇がせいぜいで、土曜日、日曜日を挟んで、家族で,ポルトガルのアベイラという運河の街に行ってきました。娘が、インターン時代にサラマンカという地方都市に4年間ほどいたので、そこから国境を抜けてその運河の街まで何回か行ったことがあるということで、車で、サラマンカ経由で、サラマンカまで200キロメートルを約2時間、目的地まであとの300キロメートルを3時間という計算で,約500キロメートルを5時間かけて、小旅行を遂行しました。スペインとポルトガルの国境といっても検問所があるわけでもんなく、ああー国境という、感じで通過して終わりです。
世の中、狭くなったというのか、娘が、インターネットで、民間の一軒家をキープしてそこにたどり着き、電話で、挨拶して終わりといった、おじさん世代には考えられない、セッティングで娘が、携帯でやり取りして、お終いです。おじさんは、娘に、お金はいつ払うんだい等の質問をしても、娘は、うざいといった形相で、まかしておいての一点張りで、ことは前に進むのでした。
このアベイラという運河の街は、ポートとリスボンの間にある港町で、ゴンドラに乗って散策が、よいとのこと、その辺は、完ぺきにパスして,街の散策と美味いレストランを探して右往左往するのでした。普段の夏よりかは、観光客が、少ないんでしょうが、やはりテーブルは、8割がたが埋まっていた感じでした。しきりに娘は、ネットで、レストランを探すのですが、この手の一発勝負は、、自分のほうが得意で、勘に頼り、動き回る自分の嗅覚のほうが、今回は、上回ったようです。穴場を探し当てて、ネットのふがいなさを娘に実感させましたが、今の商売は、この手のやり方が、主流のようです。自動車についているナビゲーターにしても便利になりましたが、人間の持つ勘の働きを発達させませんので、要は、だんだんお馬鹿さんになっていく、未来があるということを物語っています。逆にいうと、こんなことを考えられる、最後の世代が、我々なんだと実感するわけです。我々昭和世代が、両方の境目で、ひところの新宿の土地ころがしの時代の境目の時代を生きたと同様にITの移り変わりを年と共に味わったのが私たちの時代なのでした。
ところが、今の餓鬼たち、生まれた時から、コンピューターに携帯電話まさに5Gの時代の真っ最中です。若者に癌の死亡者が、増えたって、異常な行動をする人間が増えたって、すぐに切れる奴がごまんと増えたって、比較できるものがないんだから、それが、普通になるわけです。まさに誰もが、今起こっていることが当たり前の時代の下で生きてゆくわけです。
おじさん御たわ言、こんなことは、置いといて、何しろポルトガルの物価、パン屋に行っても、食事をしても、スペインのモノの値段に比べると安いのでした。そして量に関しても、確かにボリュームがあるのでした。日本人と、ポルトガル人の性格、どこかに共通しているところがあるのか、ほっとする国であることは、確かなようです。暗い夜道の散歩、ふとファドの歌声が聞こえてきたら,ぞくっと、来るのは私だけではない気がします。
2日目は、電車に乗ってポートワインのポートに行ってきました。特急で1時間で行けます。ポートか、コインブラが、1時間程度の列車の旅になります。到着すると早々、赤いバスに乗って、町をを散策、定番で、初めての地では、必ず最初にバスに乗ってスポット周りをします。そこで好きなところを2,3個、選んで、ゆっくり見ることにしています。
また旅をすると、必ず、蚤の市を探して、古いカートン性の庶民のためのお人形を探します。価値は問題外で、顔の美しい、この表現は、難しく、癒し系の思わず、顔が緩んでしまうような、人形の顔を選んで、いつもの値段の交渉を楽しんでお買い物です。もうなんやかんやで、3百体は、あるかと思います。死んでも、持っていけるわけではないのですが、そうです。息子たちは、ごみ同様の処理をするでしょうが、後世に残ることを信じて衝動買いです。今回は、1930年代のお人形を強欲婆をだまして、安い値段でゲットしました。この自分のものになった瞬間、この人形の差迷いの歴史が、また一つ加わるのでした。久しぶりの家族とのひと時、コビ時代の貴重な思い出の一ページを飾りました。
2020年8月31日 at 12:47 PM
国としてのポルトガルと日本、そしてそこに住むポルトガル人と日本人の間には確かに共通する部分が多いようで、小生もポルトガルにスペイン以上の親しみをいだいています。初めて足を運んだのは1971年で当時はスペイン同様独裁政権下の、なんとも重苦しい雰囲気が漂ってはいましたが。そして1974年4月25日のカーネーション革命で、その国民性を裏付けるようなきわめて穏健な形での民主化への道を歩みだしました。一年後の5月1日に彼等と共にAvenida de liberdadを歩いた記憶は、今でも鮮明に残っています。
2020年8月31日 at 1:49 PM
71年は、ずいぶん昔ですね。良き、スペイン、ポルトガルですね。スペインに住んでいますが、ポルトガルの国、人、嫌な思い出がまったくありません。建物が妙に古くて、修正する金もないんでしょうが、まだ残っいています。スペインは、何か勘違いした政府が、古いものフランコをにおわせるものに,アレルギーで、簡単に、壊しちゃうので安っぽい建物が、多い街並みになりました。