マドリッドが事実上のロックダウンです。しかし3月に比べると慣れたもんで、仕事は、事実上Ok のようです.実際、私の商売は、一人の単価が、飴玉一個の値段よりは少々高いので、普段の半分の患者数とは言いながら、正直な話、生きてゆくには、なんら心配はいりません。この商売の強さは、じつは、この辺にあるんだと思います。サラリーマンが楽とは言いませんが、生き方に自由を求める、一匹狼を夢見るのであれば、それなりに厳しい面もありましたが、わがままに、自分の行く道を歩みたかったもので、この辺の職業を選択したのでした。ただもうこの年になると、いい悪いは、もう別の次元で、もう元には戻れないので、このまま突き進む選択を、強いられているのが現状です。
価値観の違いは、日本とヨーロッパでは異なるのは当然のことで、、至る所にいい面もあるし悪い面もあるわけです。この指圧という手技をアートといってくれるヨーロッパの国々の人は、私たちにとっては、うれしい限りです。でも指腹の感触で、体の状態を判断して急性の腰痛、急性の頚椎捻挫なんかは、1,2回のセッションで、処理しちゃうのが、この世界では、普通なんだから当たり前かもしれません。
薬の常用に慣れた輩には、この辺は、奇跡に見えるのかもしれません。指先の器用さは、日本人は、特別なものを持っているだろうことは、長年ヨーロッパに住んでいるとわかります。
一頃、盲腸は切るものといった常識を謳っていた西洋医学がありましたが、今は、よっほどのことがない限りきらないようです。椎間板ヘルニヤだって、外科は、切除しない方向に行っています。胆のうだって切らなくなりました。歯だってバンバン抜いてたのが、今は保存を重視しての治療が流行りです。確かに医学の限界が、ヨーロッパには既に来ているようです。
西洋医学を高い金払って習ったものだけが、医者になれるという無理な法律を明治時代に作っちゃった輩が悪いんだけれどもしょうがないわさ。今のご時世でしきりにハンコをなくせというのと何ら変わりはありゃしない.ハンコだって、いい所があるだろうに、急に言い出すことが文明開化とおっしゃるお方がいるんだよなー。時代に乗ることだけ考えるお役人さん、政治家がいるけど、ここスペインは、結構この手が多いみたいです。
例えば、柔道整復という学校があって、国家試験があるんだけれども、この辺は、昔のお侍さん、武術がお仕事だったわけです。武術をけいこすれば、骨折をするは、捻挫をするは、打撲はするはで、この辺の処置をするのもお仕事だったわけです。だから柔道整復術が伝授されてこれが学問だったわけです。この辺の学問が、以心伝心の技術の継承もなくなり、ただのマッサージ屋になったわけです。
いろんな世界で、日本の技がすたれていくわけです。そろばんだって、時代遅れとは言いながら頭のボケ防止には、なるはずなんですが、4Gから5Gの時代と、人間様の身体の本当の健康の意味を無視して経済を動かすことが、正義とコビを軽視する世の中と何ら変わりがないのです。時代の流れだからと無理に消されたものが日本にはたくさんあります。
この指圧だって下手すると闇に葬られる日が来るかもしれません。特に日本では、そんな傾向があります。今コビの後遺症が、徐々に話題になっています。またコビのこの状態が長引くために、人間の身体も目に見えないストレスに侵されてガタガタの状態です。この隠れた症状を持った人たちが、全世界で増えています。これこそ指圧の適応症です。こんな機会は、めったにありません。この機を生かして指圧を一人でも多くの人に受けてもらい理解してもらおうと思っています。
集団免疫確保だ、爺さんばあさんは死んでもらおうと推進したスエーデン、とんでもない国だと思いませんか。こんな人たち、こんな国に実は、指圧が必要なのです。目に見えないパッションの灯をともし日々を消化している自分がいます。
古い患者さんが、ここの衛生面とプロ意識を評価していただいていることを感謝しつつ、毎日なんとなく仕事をさせていただいております。
例え、普段より少ない患者さんであってもついている(ラッキー)という気持ち、そして感謝、セッションが終わって、患者さんにお陰様と頭を下げつつ、お金を頂く、この繰り返しの日々、無欲にただ淡々と希望の灯が、訪れるまで、生きるこれしかないのじゃないかとただただ思う日が続いております。
人生観が、変わるとは、よく言ったもので、今が試練の3丁目です。