うちの嫁さんが、一頃の烏族で、渋谷あたりを闊歩していた頃、おじさんは、池袋あたりを根城にへらへらしてたのが、もうかれこれ40年も前になりました。黒装束、そうあの川久保玲先生のデザインで今もパリで君臨している、コムデガルソンの信者が、うちの嫁さんなのでした。
渋谷族と西口の池袋でたむろしていた自分の接点はというと、これもひょんな流れで、学生のころから東急東横店で、ある会社のマネキンでお世話になった関係で、そうなんとなくの流れなのでした。本当は、好きでもない、落ち着かない、渋谷で、お金を稼いでスペイン永住の資金集めをしていたといういきさつがあるのでした。
あの頃、烏族と付き合うには、やはりギャルソンで、勝負しようということで、私は、黒系統の洋服をまとっていたのですが、今でも黒が、定番の着せ替え人形の私は、あの頃から変化がないのでした。そうあの、40年パリで、店を張っているブランドは、飽きがこず、今も新品そのものなのでした。嫁さんから、頂戴した黒のダッフルコートは、今も健在で、これまた内心、冬のなるとウキウキなのでした。性格で、好きなものは、ボロボロになるまで、着るという貧乏根性もあるのですが、やはりいいものは、いつまでたっても浮気心を起こさせないという魔法は、ひところissey miyake に鞍替えした時期もありましたが、私には、今でも確信的なことなのでした。
渋谷東横店と本店のちょうど中間あたりの路地は、今じゃ当時の面影はありませんが、結構時が止まったような昭和そのものの空間がありました。仕事が跳ねるとメーカーから出向できている今ではもう40年来の付き合いのあった、当時大変お世話になった日大出身のこれまた、群れることの嫌いな人とつるんで、3日に一回は、すし屋の亀八に行ったことを時々思い出します。
日本に帰るたびに井の頭線の渋谷駅のちょっと先のそのあたりを懐かしさもあって、ぶらぶらする時がありますが、まったくの変わりようにおじさんの空間は、とうの昔に消滅したと嘆くのでした。其の人も、2年前癌でお亡くなりになり帰国時の楽しみが一つ亡くなったのでした。
3年ほどコロナの時期と重なって帰国できないのですが、若者の街、、ガキの街の妙に軽い、何御魅力もない街に変わったと幾人かの友が言うので、そんなところになってしまった事実は本当のようです。帰国時に暇を持て余して東京を散策する時があるのですが、ビルの谷間の一角に何何商店街がフーっと現れてきたりして時間が止まった場所を探しては、妙に喜んでいる自分が、いるのでした。
移民の宿命で、この方働きづめでここまで来たので、このパンデミックが終息したら、日本を旅してみたいとこの頃つくづく思うののですが、ワクチンを打つまでは、そろりそろりと生き抜こうと思っていますが、どうなんでしょうか。ただスペインは、ワクチン結構いきわたってきているようなんで、ここ2週間ぐらい待つと保健所からSNSが届くんじゃないかと私の側近は、言っています。スペインは、世界でワクチンの接種率が、18番目で国民の約18パーセントがすでに接種したとのことです。日本は、先進国の中では、どん尻率のようです。国民の2パーセントの接種率だそうです。ちょっとすべてが、後手ごての感はあります。
そう洋服のことなんだけど、日本の首相の着てるの、もちろん高いものなんだろうけど,センスがないんだろうなー。御徒町のアメ横で売ってる背広を着ているような田舎のおじさんです。いっそ紋付袴で勝負した方がいいんじゃないかい。スタリストはいないのですか。頭も剃った方が、誠実感が出るんじゃないかい。エステに行けよという官僚はいないか。顔も脂ぎって見苦しいぜ。爺、婆は、それでなくても醜くなるんだから、お金を掛けなくちゃー。いろいろと脳裏に浮かぶのですが,解決策は、いかんせんセンスは、ガキの頃から培わないと無理があるので、その辺は、目をつぶるしかないのかもしれません、。
断捨離を実践しだしたこのパンデミックの時に中々捨てられないものは、死ぬまでもち続けてもいいんじゃないかと思う心も生まれてきたこの頃なのでした。