ヨーロッパは、6月に入るとほとんどの金持ちが、9月まで、今まで住んでいたホームグラウンドをおさらばしてセカンドハウスに移動して、よっほどのことがない限り帰ってきません。日本でいうと軽井沢あたりに生活圏を移動させて、下々が、暑い中をひたすらはいつくばって働いているのを横目で見て、大移動をする季節が今なのでした。
もちろん時代が変わったといえば、その通りで、やはり若者は、這いつくばって働かざるを得ない状況は、世界中同じ傾向にあるようです。ただイエスキリスト様は、日曜は、働いては、いけません。家族と一緒にアットホームな一日を過ごすのです。日曜日に働く輩は、労働層の下層階級が、やればいいのです。と謳っていますので今でも、日曜日は、地方の小都市は、観光客のためのお土産屋さんやバーとか食堂は、営業していますが、ほとんどの商業店舗は、閉まっています。日曜日にいけシャーシャーと商業活動をしているのは、マドリッドとバルセロナぐらいです。あれだけ、外人がうろうろしているマラガ、グラナダでさえ日曜日の商業活動は、中国人のお店以外は、自治体が、開けさせてくれません。日曜日に店を開けたらもうかるだろうの発想は、ヨーロッパでは、ちょっと一昔前まで試行錯誤ゼロでした。
そんなわけで、年がら年中、働く中国人をヨーロッパ人は、見下していますが、そんなことへの河童である彼らは、確実に時代のニーズに答えていますので、日々何時(ひびいつ)のまにか、韓国現代社の車が、5年もするとドイツのベンベやベンツになっています。バカは、汗を流せ。この事は、私の20年前にも言えることで、土曜日、日曜日働かない人が住んでいる国に住んでいる、私も含めての移民は、汗を流すしか道はないのでした。どこの世界も、頭金ができるまでは、銀行もどこも相手にしてくれないので、あの頃は、朝の9時から夜の9時まで、土曜日、日曜日は、政治家とか貴族とかの家に行ってそこの家族の指圧をしてガンガン儲けた時代がありました。90年代そう、バルセロナのオリンピックのあった92年前後のバブル時は、スペインもお金余りの時代で、土建屋の有閑マダムが、患者層だったので、あの頃は確かに時代に乗った時期でした。あれから何年たっただろう、まさにコロナで、四苦八苦従業員だけは、守ろうと昨年の3月4月は、非常事態宣言で、クリニック、学校を閉めざるを得ませんでしたが、私と頑張りの指圧師鈴木先生と2人で、(あとの従業員は、政府が保証するということで)毎日こっそり出勤して、たまの電話を頼みに、どうにか生き延びたのでした。90年代の景気のいい頃を思い浮かべて、2重マスクとフェースシールドとイソジン頼りで、どうにか今まで来たのでした。
何しろ、近所のお爺さん、おばあさんが、ばたばた逝ったので、そりゃー感染者数の人数が、けた違いです。確かにビビったのも確かでしたが、いざ治療が始まるとすべてを忘れて集中が、私の仕事ですので、腹をくくって、ここで人生が終わったらここまでの人と達観してしのいだのを今では、いい経験と思っています。ここヨーロッパは、感染者数もビッグでしたが、コロナのワクチンの普及も結構早いので、この6月ごろからぼちぼち動き出すことを期待している市民も私を含めて多くなっている感じです。
このまま、ワクチンを普及させれば、ヨーロッパも観光客が戻ってやれやれ路線を突っ走りそうです。この辺が、若い政治家(指導者)が多いヨーロッパは、いい感じです。ただ、この頃、メールでどういう風に帰国がスムーズにできるかの、ノウハウが届きますが、もたもたの黄金のジバングには、イマイチ帰る気がしませんが、饅頭食いたいは、確かです。ただあの日本のワイドショウだけは見たくないなー。
まだまだ気が抜けませんが、ヨーロッパ(EU)のコロナからの脱出はこのまま、ガンガン作戦で、行くような気がしますがどうなんでしょうか。
ただ、若者の失業率を見るとこれからの貧困格差がどうなることやら。親のねぐらの、居候は、日本もヨーロッッパも若者の特権として,路上飲みよろしく、ゆるしてやろうかなー。