イタリアの旅で感じたこと

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月に一回イタリアのローマに行ってイタリアの指圧ファンに食うための指圧のテクニックを教えています。昨年の10月からですので何やかやで、8回目になります。15人でスタートして8人の生徒がどうにか残りました。全てが、一様プロとしてやってるメンバーを教えています。守破離の守が終わり破の段階のメンバーなんだけれども、基本がめゃくちゃなので、プライドを徹底的につぶして、一からすなわち基本操作から始めたのでした。

中には、20年選手もいて、それなりに指圧を生徒に伝授してお金をもらっているメンバーもいるのですが、そこら辺のプライドをふてないと前に進みませんので、我流を徹底的に排除することから始めたのでした。なんの仕事でも、何のスポーツでも、我流はいけません。我流が通用するのは、天才だけで、その天才を分析するとちゃんと奥底には、基本が本能的にできているのでした。

何年やっているから私は、プロですは通用しません。スペインに何十年いても、スペイン語の勉強しなければ、普段の最低限の日常会話はできても、それ以上、上達はしないのと同じように、だらだらは最悪な訳です。何の分野でもベテランというぬるま湯につかっているとすぐに後退するのは、当たり前な訳です。

確かに天才はいます。持って生まれた天性がある人がいます。その天性だけで生きていく人もいます。うちの世界では、浪越徳治郎先生が、まさに天性の人といえるでしょう。持って生まれた天性を表に出して指圧のすばらしさを、これでもかこれでもかと世に伝えていた時代がありました。人に会うと笑顔を絶やさない。思いやりをもって人と会話をする。まさに指圧の普及に尽くされた第一人者が、浪越先生でした。

その一方で、浪越先生に仕えていたあの頃の直弟子の先生が言うには、徹底的に台本を作り、計算されたアドリブ,ユーモアをその場面に応じて作り出した人だったというのでした。むしろアドリブも、もちろんことですが、計算された、台本を優先した人だったと言われていました。天才といわれる人ほど実は、奥底には、理論武装が、見え隠れしていたのかもしれません。私が、学生の頃、理事長室で一人黙々と書類に目を通している徳治郎先生を見る機会がありましたが、眼光鋭く、苦虫を嚙み潰した顔相に驚かされたことがありました。

どこの業界にもベテランがいて、古顔を武器に自分の保身を真っ先に考える人がいます。私の好きな野球選手、落合選手を例に挙げてお話を続けましょう。あの頃のマイナーチームロッテで活躍した選手です。数々の偉業を成し遂げた人ですが、東洋大学の野球部の時代にたった一年の違いで、先輩に何何罰で殴られたり、正座させられたりするのは、納得がいかないと大学を中退した話を聞いたことがあります。日本には、こんなことは常識で、常に今でも起こりえるスポーツの世界があることは、常識なようです。ここ、ヨーロッパもスポーツ界は知りませんが、一般的に見れば、誰もがぬるま湯的な環境、すなわちダラダラが好きなようです。唯一例外としてサッカーの世界の老舗であるレアルマドリッドのフローレンスペレス会長は、このぬるま湯が、大嫌いで非常の男として、冷徹に結果優先の男といわれています。

この線引きが出きるかできないかで、すべてが決まるようです。長年のぬるま湯生活は、歳をとればとるほど、そちらに傾くようです。そんなことを考えながらローマの講習を消化しました。

飛行場内では、まだマスクをしている旅行者が目立ちますが、街中は、ほとんどの人がマスクなしです。旅行での検閲もすべてがフリーパスのイタリアローマでした。確かにコビの初期は、死亡者が出たので、緊張感の連続でした、今でも日本、中国昨年より感染者が増加しています。ヨーロッパは、もう毎日の感染者を報告する報道機関も稀になりました。でも待ってください。状況が好転したわけでもなく規制緩和が、世界的な傾向のようです。しかしいくら予防接種が、浸透したとはいえ今の状態、心配大きの最中での緩和、緩和、これを当たり前と思う人がまともか、ちょっとおかしいよと思うのが当たり前か、スマホ情報に慣れた世界人は、どう思うのかガちょっと興味がありますね。この世界的コントロールをなんか変だなと思うのは、私だけではないはずです。

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