堀さんお疲れさまでした。

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堀さんが、お亡くなりになったとのうわさが聞こえてきました。堀さんといわれても、どこの堀さんということなんだけれども、長くマドリッドにいる土着邦人は、アー、堀さんがお亡くなりになったと聞けば、フーンとある種、感慨深いため息を漏らす人もいると思います。

90年代の初め、ペセタもユーロに変わり長年のスペイン人の夢であったEU加盟で、はしゃぎ回るスペインの地を、つまらないスペインの始まりと思ったのかは、知りませんが、いつの間にか消え失せたのが、堀さんでした。あれから何十年たっても、この地で、歳をとっている地元邦人は、堀さん元気かなーと妙に懐かしがるのでした。あの頃は、まさにピレネー山脈を越えるとアフリカといわれて、もうそんな時代ではないと確信をもって言い切れない時代ではありましたが、妙に魅力のあるスペインだったことは確信をもって言い切れます。もちろんヨーロッパの一員何ですが、妙に田舎臭さが残っていて、パリとかアムステルダムとは確実に違った層のファンが、愛するスペインがありました。その辺の心地よさが、まだまだある、あの頃だったと思います。堀さんは、青山大学を出て,IBMに入社して、アメリカに研修に行き、それからは、きっとIBM はつまらないとちょっと働いて退職、なんとなくマドリッドにたどり着き、大方の時間は、麻雀をして、私たちを楽しませてくれたのでした。

本当に負けたことを見たことが、ありませんでした。まったくもって、負けてもまた堀さんとやりたいと思う鴨が大半で、私なども学生の頃、あのマージャンの魅力に取りつかれて、一か月分のアルバイト料を新宿の雀荘で、わずか30分たらずの醍醐味を味わった後、一瞬に消え去った給料袋の経験を何回も味わったにも関わらず、妙に狙い撃ちされて、撃沈されたり、まったくもって堀さんにはかないませんでした。でも後味が、さっぱりで、随分、堀さんに投資し続けたものです。

大方の人は、堀さんは、なんで食べているのかわかりませんでした。実家が岡山で、ダンスホールをやっていたと人ずてに聞きました。あの頃は、過去を問わないが、暗黙のおきて(マナー)だったので、マーそんな程度の記憶しかありません。

いろんなことがあったんだろうとは思います。例えば、EU加盟で、滞在の書類がだんだん増えたためにスペインが住ずらくなったためか、とにかくある日、突然堀さんは消えてしまいました。とにかく日本に帰国して、そして日本にも飽きたのか、それからインドネシアに長年住んで、地元の邦人、そして中国人相手に生活の糧を麻雀で、相変わらずという、情報は、もらっていたのでした。

死ぬまでに一度、堀さんと会いたいと思っていたのですが、実現できませんでした。

あの頃と今のスペインを比べるとまったくもって魅力が半減しました。スペインらしい孤島の頑固者のイメージが薄れ、世界の国際空港内のどこの店も有名ブランドといわれる同じメーカーの店が、独占して、魅力半減になっている現状がありますが、この現象と何か一致するところがあります。

もちろん、杖ついて、ベレー帽のおじいさんのイメージをスペインに持つ、私のほうが無理があるのかもしれません。またポルトガルのほうが、個性があるような気がしますが、50歩100歩かもしれません。

私などもそんな70年代のスペインが好きで、住みついたといっても、過言ではない過去があるだけに、良い時代のスペインをふと思い出すことが、あります。ただ爺になった証といえばそれまでですが、

新潟出身で、学生空手チャンピオンの斎藤さん。鍼師のお医者さんの外尾先生。首絞め強盗に会い、私の治療院に仕事を求めて、長年勤めていただいた京都の先生。みんなどうしているんでしょうか。まさに一期一会の時の流れです。

 

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