私の治療所は、スペインに来てから今まで、同じ場所にあります。マドリッドの北に位置します。サッカーのクラブチームが本拠地にしているスタジアムが、どでんとある、その場所から数分の所に位置しています。昔は、アメリカの軍人さんが多く住んでいたそうで、コリアン地区といわれていたそうです。
軍人が住んでいたということは、当然怪しい場所も沢山あり、私が営業を始めた80年代には、そんな面影が至る所にありました。今は、パブやバーにリフォームされていますが、なんとなく面影は確かに残っています。比較的ミドルからハイのスペイン人や外人が住んでいました。そんなところをたまたま40年前に指圧という何が何だかわからない手技療法を始めたわけですので、どちらかというと日本に行ったことがあったり,公務で、日本に3年ほど滞在したりした、日本大好きのお宅的親日家が、治療院の患者さんでした。そんなことも影響してか最初のアプローチは、結構楽だったように思います。実際、スペイン人は、アジアの中で,MOTOのHONDA,KAWASAKI が好印象を与えているのか、日本好き好きお宅が結構います。そんなこともあってか外人が多く住んでいるゾーンに指圧治療所を構えることが、今考えると超正解だったように思います。
実際ある運勢を見るおばさんが、北に北に衣を構えなさいとの一言に、うっかり乗って今まですべて北、北の場所をあえて選択してきました。南に衣を構えていれば、こんなに長くいないで、とっくに日本に帰っていたかもしれません。
余談になりますが、今までの仕事の量で言えば、確かに人の3倍は、仕事をしました、これは確かな事実です。運もさることながら体が丈夫だったことは、両親に感謝しています。
私の住んでいるこの一角は、NUEVA ESPAÑA (新しいスペイン)と2000年ぐらいから呼ばれるようになり、なかなかの賑わいをキープしているゾーンです。確かに外から見るとそうなんですけど、私などは、40年近く同じ場所に住んでいますので、このゾーンの目に見えないところが良く見えることはこれまた確かですが。
このNUEVA ESPAÑAと名称がついた場所は、超近くにメトロの駅あり、バスも頻繁に通り、スーパーマーケットも高級層、庶民層,計7つあります。また5つ星のホテルが2つ、有名なレストランが、軒並み、こんな感じの地区ですので、家賃もそこそこの値段を有しています。
普通の勤め人の月給の平均が、1200ユーロ(17万円)前後ですので、家賃が、一人部屋で、1000ユーロ(14万円)前後が普通ですので、自然と給料2000ユーロから3000ユーロの人じゃないとこの地区には住めないということです。
2000年の初めまで、この地区が、不動産の好条件の一つに挙げられていた条件の一つに中国人経営の店がなかったことです。不動産のハイレベルの物件は、その一角に中国人がいないことなのです。中国人が入り込むとうことは、不動産としていい場所だという証です。しかし中国人の経営のコンビニ、レストラン、洋服屋、爪の手入れの店などが、できるとそれだけで、不動産の価値が下がります。
スペイン人は、恐れ多くも白人です。アジア人を平等に見ているように一見ふりをしますが、所詮それは表の顔です。特に中国人の無道徳、店の玄関先の汚さ、融合性の無さ等を嫌います。中国人が、この地区に店を開いたのが、2000年の初め、それから何件の中国系の店ができたことでしょう。巷の声は、あいつらが来ると不動産の価値が下がる、これはまぎれもない事実です。
10年後20年後先を見れば、価値は確かに下がるのです。ただ初めは、中国人の店員が目立ちますが、歳を重ねるたびに中国人の店員がいなくなり、外人か、スペイン人が大方を占めて、オーナーは、中国人だけれどもう出てこない、といった構図に大方が進むのでした。
ここからちょっと離れた地区の話なんですが、始め一つの中国店が店を構えました。それから20年もたっていないのにこの通りは、完全にチャイナ通リになりました。チャイナ通りができれば今度は、チャイナタウンです。実際USELAという地下鉄名がある南の場所は、正式にチャイナタウンを作り、お客や、旅行者を呼び込もうと正式にチャイナタウン宣言をしました。この辺は、お金と行政が絡んで、できるプロジェクトですので、もう中国が、スペインに容赦なく入り込んでいる証です。
おそらくスペインだけじゃなくヨーロッパの国々も浸食されていることが予想できます。日本の沖縄よ、北海道よ、いつの間にか中国マジックにGIVE UPされたりして。目に見えない恐ろしさ、この辺はスペイン、日本より何故か超寛大なのでした。