断捨離の徴候
8月に近ずくと学校もお休みで、みんなどこに行ってしまったんだと思うぐらいマドリッドは、静かになります。物価が上がった、給料が雀の涙とさんざん愚痴る割には、夏休みは、乞食でも失業者でも平等にわかちあう、それが、当然の権利なのだそうです。
患者さんは、夏は痛みなんか忘れて、夏休みを堪能しているのでガラガラのクリニックがここにあるのでした。
そんなこともあり昔々暇なもんで日曜日、ダウンタウンの蚤の市に必ず出かけた時期を思い出し、ふと地下鉄を久しぶりに利用して日曜の朝、トレドの門の近くにあるラストロという名の蚤の市に出かけました。全くもって10年ぶりの蚤の市、ラストロに行きました。思った以上に中国人化していて見る影もなく、メードインチャイナの服やプラスチック製品を売ってる屋台のオールパレードでした。もはや蚤の市には程遠く、私が興味を引きそうな小物は、皆無。早々に退散したのでした。
最近ですとルーマニアに行った時の日曜市、ベルギィーのクリスマス前の日曜市、セルロイドのミニ人形をゲットした以来の収集を期待したけど惨敗。
骨董品集めが趣味といえば、かっこいいのですが、私独自の感覚で、興味を引いた品物集めをしていた昔が確かにあるのでした。
昔昔の宣伝ポスターや真鍮の使い古しの食器類など、私好みのガラクタを結構な額を投資していた気がします。一週間の汗の結晶(指圧治療)、そうですあの頃は、ペセタを中毒のように散在していました。お金がユーロの前のペセタの時は、妙に未来に投資を一切せず、仕事もしたけど、結構ガラクタに投資していた時期がありました。そのころ嫁さんは、2人の育児で、大変だったというのに、今思うとやばいの一歩手前だったのだと確信するのでした。
特に1930年代、スペインで売られていた紙粘土の人形や、マリキータぺレスという名の一時期の抱っこちゃん人形のような爆発的にスペインで売られていた人形を買い集めていました。かき集めていたが正しいかもしれません。
磁器、陶器の人形(フランス製)はあまり興味がなく、紙粘土やセルロイドの人形に惹かれる所があり、毎週バンバン買い集めていた時期がありました。その頃は、市民戦争時代(1930年時代)の人形が出回っており,あのころの相場で、一体15000円から25000円位は、確かにしたと思います。その辺の人形を無造作に買ったのですから確かにあの頃は異常だったんだと思います。
稼いだ、お金がみんな、飛んで行ったあの頃はなんだったんだろうと思うのですが、確かに買い集めました。
買う店がだいたい決まっていたので、その店の主人が、いいかもを見つけたとばかり毎週行くと2,3体、必ずキープしてあったのでした。
あの頃のフィーバー(熱風)は、10年ぐらいで消えたのかなー。
今では10何個の引っ越し用の段ボール箱に入り、物置に、ひっそりと眠ってますが、開けるとまた熱病が、再発するかもしれませんので開かずの何何になっています。
300体までは数えたけれど、今何体あるのかは、わかりません。一時期、この手の人形のブームがあり小野ちゃんの人形を売れば、マンションの一つは、買えるねと言われうんうんとよだれをたらしていた時もありましたが、今は、暴落して、買値にも届かない価値になっているとのことです。
サーカスのポスターも何枚集めたことか、毎年冬、闘牛場のわきで、テントを張って開催されるサーカスの興行で、町中に貼ったポスターをしかとで、はがして、コレクションして、一人喜んでいたのでした。
こんなポスターを旅をするたびに、きょろきょろ街を散策して集めるのを常としていた頃もありました。町に貼られたポスター、これも何枚あることやら。
ただ、今はひっそり物置で眠っています。
小野田亡き後は、娘、息子、そして嫁さんなんかまったく興味がないので,捨てられちゃう運命にあるのだろうと感じているわけです。
時代遅れの男になりたいやらなりたくないやら、まだ死ぬ気がしないので、断捨離する徴候は、まだ起こっていません。
断捨離の徴候
2023年7月19日 | 0 comments