ハワイの因泥先生は、海外での指圧普及のパイオニアで、私も、今日に至るまで大変お世話になっている人生の師匠です。一か月に一回の割合で、電話で激励をもらい続けたことにより、困難を乗り越えることができたり、達筆な字で仕上げた、人生訓を頂き,そのたびに元気を頂いたりして、40年間楽しくスペインで指圧道に集中させていただきました。
先生からの訓で一番多いのは、バカになれ、バカになれるかどうかが、人生の分かれ道だと繰りかえし、言っておられました。最初は、なんか笑っちゃうような訓なのですが、実に深い意味合いのある言葉であることに気が付くのでした。頭の悪い人ほど、俺は俺はと主張して、しらけさせたり、マー、能ある鷹は、爪隠す。この辺が凡人にはできないものです。この歳になっても、いやこの歳になったからこそ、爺は、バカにならなければならないのでした。
大分昔になるけど、実家の近所で、整体屋がオープンしました。知り合いだったので、顔を出すことになり、挨拶に参じました。どっかの自動車のメーカーの工場長まで務めた人で、早期退職して始めたそうです。内装造りや立地もよくオーナーは、自信満々の様子でした。連れていってくれた人が、どうですかと尋ねたので、1年も持たないと答えました。もちろん技術的なことは抜きにして、あの妙な自信が、鼻についたのでした。宣伝の肩書に何何自動車の工場長、慶応大学出身と書かれていました。これなんかは、完全に余計なことでかえってマイナスになる要因であることが、ご理解できてないようでした。逆に前職は、ミステリー、自分が言わなくても、なんとなく広がってゆくが正解だとわからないところが。一流勤めの悲しい所なのでした。特に早稲田あたりの中途半端な大学の野郎は特に勘違いが多いようです。この商売は、学歴なんかへのツッパリにもならないことは判っているだろうに、自信の無さが表に出てしますようです。60前後の爺が昔の経歴をしゃべること自体、タブーなのです。
年を取って、手技療法の世界に入ること自体が間違いなのかもしれません。指の感覚、患者さんとの対応、すべてが、頭の固くなったお年寄りには無理があるようです。その上、体を動かしたくない輩が多く、体で覚えることが、既にできないので、やはり脱サラの流行った時代にこの世界に流れてきた人が多かったのですが、ほとんどが、整体スクールは、儲けたようですが、世の中そんなに甘くないが、現実のようです。
話は戻しますが、その近所の整体屋も1年も持たずに消え去りました。これもバカになれた人なら、展開は、変わっていたかもしれません。
私自身、あの頃の指圧の世界を振り返ると、入門が、中年の人も多かったので、若い方の学生だったと思います。
確かに時代も変わり教える方も、学生も妙な縛りがあり、私の教え方じゃすぐに訴えられる要素が多分にあるようです。そこにも馬鹿になるという呪文が通用するのかもしれません。
結論を言うと馬鹿になり切れない自分が、まだまだいるという事は間違いなさそうです。バカになりすぎて、ほんとに馬鹿になるのもちょっとね。