1984年6月にパリから夜行列車で、スペインの首都Madridに早朝到着しました。マドリッドに近づくと線路沿いに真っ赤なけしの花が、咲き乱れていたのを鮮明に覚えています。あれから何やかやで40年の月日が、経ちました。お天道様に見守られどうにか、しのいでこられたことのラッキーさに、我ながら驚いています。スペインの懐の深さに感謝するとともに、指圧のお陰を深く深く感じる日々でもありました。
西暦2000年前後のバブル、そしてオフィイス革命、すなわちコンピューターや携帯電話の普及は、人間社会を根底から変える嵐をこれでもか、これでもかと浴びせかけました。その嵐に耐えるものだけが、生き残る人間社会を作り出しました。その結果、人間様は、精神および肉体のストレスを日に日に蓄積するようになりました。
世界中の人々が、まさに主人公であるはずの人間様の優秀な一かけらのグループが制作した小さな機械に操られるようになりました。人間様の大半が、その機械の依存症になってゾンビの如く、生きるようになったのです。電車の静まり返った空間で、手元の機械を操り、一人、にやにやするする人を見るとぞっとしませんか。そんなハザマで、生きる世界中の若者は、闇に追い込まれてやっと息をしています。知らぬ間にはっと気が付くと、身近な人を殺めたり、急に感情のコントロールが不能になったり、まさに心身一如の言葉が、死後になっているのが現状です。
スペインに住む意味を噛みしめた時代も今では、グローバル化が進み、どこに住んでも、同じ種類のストレスが生じる世界に生きることに気が付きます。この社会現象が、私のこの職業に希望をもたらしたのですからお陰様の一言です。二人に一人が、癌の確立があります、WHOがいけシャーシャーという時代です。その発表をうんうんとうなずく我が世代。これも無知上の異常現象かもしれません。もう自らの予防医学実践と神様へのお祈りしかないのかもしれません。
飽食の現代、この食べることもストレス発散の妙薬と社会は、受け止めているのかもしれません。食べないことの喜びは、結構人間様のハピネスホルモンの促進に一役も二役もお助けすると確信します。どうせ一度は、死ぬ体なのですが、枯れて死ぬか、腐って死ぬか、そりゃー枯れて死ぬ方が、スーッと天国に行きそうですね。
追記
パリ五輪の開会式,おかまの祭典で、賛否両論、あれはあれで、私は、いいと思う。フランス政府も炎上の予想はできてたのだから知らんぷりすればいいさ。しかしごめんなさい姿勢になりつつあります。
別にダンサーが悪いわけでもなく、演出家もOKが出てたんだろうから、つら抜けばいいさー。何時もこんな時に、最初に逃げるのは、利権で稼いだ政治家さ。これは、フランスもアメリカも日本も同じさ。スポーツに政治が絡むとろくなことがない。しらけオリンピックは、もう限界だろうに。