2024年10月10日から10月14日の5日間オランダの中心地アムステルダムから60km離れた経済、政治の中心地であるLA HAYA(英語THE HAGUE)で土曜日、日曜日、オランダ指圧学校の道場にて指圧セミナーを行いました。
オランダにおいては、2008年2017年と2回程日本指圧専門学校の理事長、浪越雄二先生、小林秋朝先生、その他、指圧指導の先生方を招聘してセミナーを行いましたが、武漢ウイルスの嵐の吹き荒れる世界的なパニックで数々のイベントが、ばたばた中止、延期になり指圧界の灯も消えかかりました。
このような混とんとした世界状況が、数年続きましたが、どうにか回復の兆しが見え隠れしだした手技療法界の現実があります。
こんな鬱状況を払しょくするために、1年間の準備期間を経て、オランダセミナーを開催しました。
中心となってくれたのが長年、浪越指圧の普及のためにオランダを動き回っているヴェロニカ先生です。先生方の団体が音頭を取り、計画、準備そして開催に至りました。
オランダの指圧の歴史は、大変古く、1960年にさかのぼります。オランダ人のビンクス先生が、指圧を習う目的で、日本に来日して浪越学園の門をたたき、浪越指圧の基礎を伝授されたとのことです。
たまたま1964年の東京オリンピックの大成功の基、日本は、国際化に舵を取りました。そんな折に徳治郎先生の長男である徹先生が、長年のアメリカ暮らしで英語にての伝達が完璧であるためにスムーズに伝授できたことのラッキーさも、大いにあったようです。
また同時期にイタリアのパロンビーニ先生(理学療法士)も東京オリンピックの乗馬競技の選手のためのケアーのためにチームトレーナーとして来日していた折に、やはり浪越学園を訪問して浪越指圧を伝授してもらいました。その時期が第一期海外指圧普及の架け橋となっています。
直接、浪越徳治郎先生、及び徹先生に指圧を教わったのが、オランダのビンクス先生、イタリアのパロンビーニ先生です。
その2人の先生が、中心となりヨーロッパの指圧普及が始まりました。
それ以前に増永静人先生の禅指圧が、大橋渉先生の協力のもとヨーロッパではすでにブームになっています。
志半ばで、浪越徹先生が、若くしてお亡くなりになったその年に両先生もそれぞれお亡くなりになっています。奇遇では、ありますがまぎれもない真実です。今回は、ヴェロニカ先生が音頭を取り、セミナーが開催されましたが、この育くむ道場は、合気道の道場としても活用されています。
なぜか私の指圧学院にも合気道の生徒が、沢山いて、合気道と指圧は相性がいいみたいです。
指圧もオランダでは大分理解度が浸透しています。手技療法の協会がいくつもあり、その協会に各手技療法家は、所属を義務付かれています。そして1年に2回の指定されたセミナーに参加することを義務付かれています。質の維持を貴ぶ各協会の仕事は、プライベートの健康保険が有効になるか、許可をえれないかの道に進むわけです。ヨーロッパの経済機構の大御所であるヨーロッパ共同体(EC)は、健康セクションのお金の消失が、いつも課題になっていますが、その問題を解決させる動きとして第3の医学、予防医学の推進を真剣に行い始めました。
動きとしては、鍼灸は、西洋医学を学んだ医者のみが、できる法律を少しずつ入れ始めています。手技療法は、規制する範囲が、大きいので、健康維持促進の立場の法律を各国は入れ始めています。この動きは、既にイタリア、フランス、オランダなどに見られていて、今まで鍼灸を糧としていた中国人は、よその国に移住し始めています。
オランダの針の協会は、主に中国鍼の使用すなわち中国の鍼理論を尊ぶ団体が主ですが、中国政府のバックアップは、今まで並大抵のものではありませんでした。こんな昔の動きがあり、中国人が中国で鍼を習い、中国で医者の免許を取得した中国人は、今まで通りだそうです。
日本人で、日本の鍼灸の免許を取得した免許持ちは、ダメのようです。
日本大使館は、日本大企業ばかりの応援で、日本文化や伝統などには、まったく興味がありません。大使館イコール日本の大手企業の理解者であり、漫画や日本の文化継承には、全然理解がありません。歌舞伎や相撲を何年かに一回、持ってきては、大仕事をしたと喜んでいます。なんで歌舞伎、なんで相撲なのかは、よくわかりません。
地元に根付き、一生をかけて日本の文化を伝えている、日本人が、ヨーロッパには、結構いるんだけれども、マーその人たちは、その人たちの哲学でやっているし、人様が何を仕様が、関係のない人たちだからそれはそれでよしとしましょう。2,3年で帰国の日本人は、所詮腰掛が結論のようです。